部下の納得感と安心感を醸成―― 「フェア・マネジメント」でメンタルヘルス対策を
「公正」がストレス要因の認知を和らげる
――従業員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐために、会社としては何ができるのでしょうか。 従業員のメンタルヘルス不調を予防するためにはどのような職場要因に注目すべきか、これまでさまざまな研究が行われてきました。その中でも、「自分の上司はフェア(公正)だ」と認識している従業員の心理的安全性は非常に高く、また、そうした上司のいる職場では、メンタルヘルス不調者や休職者、離職者の発生頻度が明らかに低く、生産性が高いという報告が注目を集めています。心理的安全性を高めるためには、上司への信頼や相談しやすさが重要と言われますが、上司の公正性が大きな前提条件になっているわけです。 なぜ、公正さがそれほど重要かというと、人間の思考回路と関係があります。人は、見たり聞いたりしたことは、脳の後ろや横の部分でイメージをつくり、それを脳の前(前頭葉)に送ります。そこで関連する過去の記憶やイメージ、学習したことなどさまざまな情報を集めて総合的に判断し、最終的な解釈・意味付けを行い、その解釈・意味付けに従って、自動的に感情や行動が決定されます。つまり、人間の感情や行動は、見聞きしたことや出来事によって直接決まるのではなく、どう意味付けしたかによって決定されるのです。同じことでも、言われた相手によって気持ちが大きく違うのは、日常的によく経験すること。それは、相手に関連する記憶やイメージがそれぞれ違うことが影響しているからです。 指導・評価する立場の人は、どのような記憶・イメージが大切なのか。この答えが「フェアネス(公正さ)」です。相手にフェアなイメージを持っていない場合、その言動に対して「理不尽だ」「不公正だ」という解釈や被害的な意味付けが行われやすいことが知られています。こうした意味付けは、「怒り」を自動的に引き起こします。怒りという感情は、先に挙げた三つのネガティブ感情の中で最も厄介なものです。最もエネルギッシュで、何度も頭の中を駆け巡り、さらにネガティブな意味付けを強化してしまいます。 少し乱暴な言い方になりますが、メンタルヘルスにとって一番大事なのは、「あきらめる」ことと、「忘れる」ことです。どんなに慎重に生きていても、どうにもならないつらいことやストレスに直面してしまいますが、そのことにいつまでも執着していては前に進めません。結果を変えることができない問題や過ぎ去ったことを、いかに早く受け入れるかがメンタルヘルスを保つ大きなポイントです。しかしながら、フェアでないという認識や怒りの感情は、あきらめたり忘れることを遠ざけてしまいます。 一方で、部下が上司に対して「普段からできるだけフェアにやろうとしている」という記憶やイメージを持っていれば、不安や怒りの発生が最小化し、「仕方ない」とか「ここはあきらめてこうしよう」といった考えに落ち着くまでの時間が短くなることがわかっています。上司は時に、部下に対してネガティブなフィードバックを与えなければなりません。それは部下にとってストレスですが、必要以上にネガティブな感情を起こさず、こちらの言うことを受け入れてもらうためにも、普段からフェアネスを意識した管理態度、つまりフェア・マネジメントが重要になるわけです。 ――フェア・マネジメントとは、具体的にはどのようなマネジメント手法なのでしょうか。 フェア・マネジメントは欧米で重視されてきた考え方です。解雇や降給など、インパクトの大きいネガティブな評価を部下に伝えなければならない状況では、上司・部下間の心理的葛藤が非常に大きく、トラブルに発展する可能性も小さくありません。それを防ぐために、フェア・マネジメントをスキルとして強化するための教育研修が重視されています。 フェア・マネジメントを構成する要素は、「分配の公正」「手続きの公正」「情報の公正」「対人関係の公正」の四つです。「分配の公正」は、役割や給与などの分配が公正であるかどうかということ。人事制度などの影響もあり上司がコントロールするのは難しい部分もあるのですが、公正さを認識する上では、分配そのものよりも、その分配が公正なプロセスや基準によって決定されたのか、十分な説明を受けたかという「手続きの公正」がより重要と考えられています。「情報の公正」は、部下に必要な情報をすべて与えているかどうか。そして、職場のメンバー全員を一人の大人として尊重する「対人関係の公正」です。厚生労働省の調査でも、「職場の人間関係が好ましくなかった」が離職理由の大きな割合を示していますが、同僚同士の対人トラブルの影響を最小限にするために、上司の対人関係の公正さが重要な役割を果たすことが知られています。 ある病院での事例をご紹介します。看護師の離職率の高さが課題となっていました。特にNICU(新生児集中治療室)は、少しでも目を離すと新生児の容体が急変しかねない現場のため、上司からの指導も厳しく、職場もピリピリしていて仕方がないと、皆が半ばあきらめていました。そのため、これまで院内で最も離職率やストレス調査チェックの結果が悪かったのです。ところが、NICUの師長が替わり、急に結果が好転しました。 各部署の師長や管理者を集めて行われたフェア・マネジメント教育の場で意見を求められた新任師長は、自分なりに工夫した点をいくつか挙げました。例えば、看護師の日勤・夜勤日や休日を決める交替勤務表作りは師長にとって負担の重い作業で、希望がかなわなかった看護師から不満が噴出するのが常でした。師長は、メンバーの希望を全部聞くことはできないが、全員一律で第3希望までは必ず聞き、それ以外は師長が総合的に判断するというルールを示し(「分配の公正」、「手続きの公正」)、特に強い希望が寄せられる休日の指定についても、ベテラン・新人関係なく同価値として扱って尊重する(「対人関係の公正」)という判断基準をきちんと説明していました。 ――上司の姿勢や行動が変わったことが、職場のストレス軽減に大きく貢献したのですね。 新任師長の行動には、フェア・マネジメントのエッセンスが含まれていたわけです。ただ、フェア・マネジメントは決してセンスが必要なわけではなく、できるだけフェアに行動しようという意識や、部下にきちんと説明する行動です。 その病院の師長や管理者は、フェアネスを高めるためのアイデアや他部署の良いところを積極的に取り入れるとともに、「公正(公平)」という言葉を積極的に口に出す必要性を学び、各部署で実践し続けました。その結果、離職者は急減し、職場のストレス調査でも有意な改善が認められています。