「人間には陰謀論的な思考回路がつねにある」 作家・小川哲が『スメラミシング』で描いた信仰と宗教
「いろんなところに宗教や神のかけらみたいなものが散らばっている」
―収録されているほかの短編では、神を信じることが禁じられている世界も描かれています。いまの世界からは想像もつかないことですが、信じることや信仰の危うさみたいなものも同時にあると考えたときに、ありえない話ではないのかなと感じたんですが、信じること、信仰について小川さんはどう考えていますか? 小川:人間って、最終的には何かを信じたり、根拠なく受け入れたりする生き物なんじゃないかと思っています。 何かを信じることの真逆に置かれていそうな科学技術や、あるいは数学というものも、じつは人間の直感や思いつきから生まれることもある。人間が科学を発達させてきた事実と、人間がすごく思い込みをしやすい生き物であるということは、表裏一体にあると思っています。 これが正しい例かわからないですが、夜空を見上げて天ではなく地球が周っているんだと思ったときとか、リンゴが落ちるのを見て引力に気付いたときとか、科学的な理屈の積み重ねよりも、どちらかと言うと人間の発想の転換や思いつきという非科学的な部分からはじまっていて、のちのち検証していくと科学的に正しかったとなっているのが、現代の僕たちの生活をつくりあげていると思っているんです。 やはり究極的には僕らは思いつきや根拠がないこと、何かを信じることに託すしかないのかなとは思いますね。 ―一方で、日本は信仰心が薄い国だとも言われます。日本人と宗教の遠さや、それでもこのテーマを選んだ理由をうかがってみたいです。 小川:僕は、人間は究極的には何か信仰体系みたいなものやよすがを持っているはずだと思っています。なので、日本に限った話ではないと思いますが、すごく普及している宗教やみんなが信じているような存在がないからこそ、世界中にそれぞれが信じている宗教や神みたいなものがいろんなところに遍在しているわけですよね。 だからさっき話したような推し活だったり、どこかの野球チームだったり、陰謀論かもしれないし、いろんなところに宗教や神のかけらみたいなものが散らばっている。それを集めるのが面白いなと思っていて、この作品集もわりとそういうものを目指して書きました。 ―信仰の欠片というのは面白いですね。ただ、たとえばノーマスクは周囲の人を危険に晒してしまうかもしれないとか、信仰も極端なところにいってしまうと人を傷つけてしまうかもしれないという危うい側面もあるのかなと考えているのですが、そこはいかがでしょうか。 小川:そうですね。でも、それこそ反ワクチンとかノーマスクだって、人を傷つけないやりかたはあるわけで、個々人によってそれぞれだと思います。 結局僕は、自分と違う世界観を持った人、自分と違う信念の体系を持った人と対峙したときに、相手に自分の世界を押し付けるのか、それとも相手の世界を尊重するのかということが一番大事なことだと思っていて、押し付けるとそれは暴力になったり傷つけたりすることになる。 どんな信仰を持っていても、相手の考えてるものや信じているものを尊重することができれば、まったく別の世界を持つ別々の人間同士でも、お互いを傷つけ合うことなく共存できると思います。僕は、そういう自分と違う世界観を持っている人を理解することはできないかもしれないけど、考え続けたいと思うんです。
インタビュー・テキスト by 生田綾 / インタビュー by 南麻理江 / 撮影 by 大畑陽子