え? そうなの!? 実は五輪に出たことがない日本代表のスター選手10人。意外にも…。歴史に名を刻む名手たち
プラチナ世代の10番。落選後に頭角現した天才
MF:柴崎岳(しばさき・がく) 生年月日:1992年5月28日 逃した五輪:ロンドン五輪(2012年) A代表通算成績:60試合3得点7アシスト 五輪サッカーが現行の23歳以下のレギュレーションとなって以来、日本にとって最高成績となったのがロンドン五輪だ。だが、快挙達成の場に柴崎岳の姿はなかった。 2009 FIFA U-17ワールドカップに臨んだU-17日本代表は、当時“プラチナ世代”と呼ばれていた。1999年の第10回ワールドユース選手権で準優勝に輝いた黄金世代になぞらえた呼称で、ファンからの期待も大きかった。だが、蓋を開けてみればプラチナ世代の戦いは3戦全敗で終了することになる。 同大会でプラチナ世代の背番号「10」を背負った柴崎だったが、ロンドン五輪では選外に。アジア最終予選では才能を高く評価されていた様子もあっただけに、思わぬ結果となった。だが、柴崎は落選の経験を糧に急成長。2012年2月にA代表初選出を果たすと、何度か代表から遠ざかる時期もあったが、ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップでは主力として活躍した。 大迫勇也、原口元気、昌子源など、ロンドン五輪落選組の中には、その後に飛躍的な成長を遂げてA代表の主軸となった選手が多い。柴崎も、落選後にはクールな見た目と相反する熱い思いをたぎらせながら、自身の価値を高め続けていたのかもしれない。
今やA代表の頭脳! リオ五輪当時は影が薄かった?
MF:守田英正(もりた・ひでまさ) 生年月日:1995年5月10日 逃した五輪:リオデジャネイロ五輪(2016年) A代表通算成績:34試合3得点3アシスト 今では中盤の核として森保ジャパンに欠かせない存在となっている守田英正だが、リオデジャネイロ五輪が開催された2016年当時にその名を知る者は決して多くなかった。 流通経済大学サッカー部時代は、チームの中心選手として活躍。サッカーIQの高さ、守備力や走力といった現在の守田を象徴する特長は当時から発揮されており、大学サッカー界ではトップレベルだったことに疑いの余地はないだろう。ただ、リオデジャネイロ五輪メンバーに割って入るほどのインパクトはまだなかった。 だが、守田はリオデジャネイロ五輪後に凄まじい上昇曲線を描いていく。2018年9月に追加招集ながらプロ1年目でA代表入りを掴み取ると、森保一監督の信頼を獲得。カタールで開催された2022 FIFAワールドカップではベスト16進出に貢献した。 守田は常にサッカーに対して真摯に向き合い、着実に地力をつけていった。今ではA代表だけでなく、ポルトガルの名門であるスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルでも絶対的な主力を務めるまで存在感を強めている。決して世代別代表に選ばれ続けるようなエリート街道を歩んできたわけではないが、守田は五輪出場を超えるような経験を次々と積み重ねている。