え? そうなの!? 実は五輪に出たことがない日本代表のスター選手10人。意外にも…。歴史に名を刻む名手たち
屈辱の東京五輪選外…。それでも這い上がった若きDF
DF:菅原由勢(すがわら・ゆきなり) 生年月日:2000年6月28日 逃した五輪:東京五輪(2021年) A代表通算成績:13試合1得点1アシスト 第2次森保ジャパンで右サイドバック(SB)のポジションを不動のものとしている菅原由勢も、五輪を経験していない選手の1人だ。 2019年6月、当時18歳だった菅原は名古屋グランパスからAZアルクマールへ期限付き移籍。東京五輪が開催された2021年時点では欧州で2シーズンを過ごしており、UEFAヨーロッパリーグを経験するなど実績を積んでいた。それだけに、五輪メンバー落選は強烈な挫折体験として本人の胸に刻まれたことだろう。 それでも、菅原はその悔しさを力に変えていった。カタールで開催された2022 FIFAワールドカップ終了後の第2次森保ジャパンでは、右SBのレギュラーポジションを奪取。高精度のクロスやインナーラップの質、走力や的確なポジショニングといった現代サッカーのSBに必要な要素をしっかりと押さえており、森保一監督からの信頼も厚い。 さらに、今月14日にはサウサンプトンFCへの完全移籍が決定。菅原はいよいよ世界最高峰のイングランド・プレミアリーグで新たな挑戦を始めることになる。今の活躍を思えば、東京五輪を逃したこともプラスに捉えることができそうだ。
パスの名手! 黄金世代で輝きもなぜ無縁
MF:遠藤保仁(えんどう・やすひと) 生年月日:1980年1月28日 逃した五輪:シドニー五輪(2000年) A代表通算成績:152試合15得点28アシスト 日本サッカー界が世界の強豪の背中をはるか遠くに感じていた1990年代後半、多くのファンに「彼らなら世界の厚い壁を破ってくれるのでは?」という期待を抱かせた世代がいる。 1999年、ナイジェリアで開催された第10回ワールドユース選手権(現・FIFA U-20ワールドカップ)に出場したU-20日本代表は、準優勝の快挙を達成。小野伸二、稲本潤一、高原直泰といった錚々たる面々は“黄金世代”と呼ばれ、後にA代表の中心となっていく。そして、黄金世代の中でも中盤でひときわ輝きを放っていたのが遠藤保仁だった。 シドニー五輪のアジア1次予選、最終予選ともに、遠藤はU-22日本代表の中心選手として戦った。しかし、本大会では予備登録メンバー止まり。試合出場の機会は最後まで訪れなかった。 その後の遠藤は、中盤の心臓として長らくA代表をけん引。通算出場数は152試合にもおよび、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップのグループステージ第3節・デンマーク代表戦で決めた直接FK、意表を突く“コロコロPK”など、印象に残るゴールも多い。今年1月には2023シーズン限りでの現役引退を発表。五輪とは縁がなかったが、黄金世代の筆頭格が魅せた鮮やかな記憶が色褪せることはない。