え? そうなの!? 実は五輪に出たことがない日本代表のスター選手10人。意外にも…。歴史に名を刻む名手たち
五輪(オリンピック)への出場を経て、そのままサッカー日本代表の主力となる選手は多い。実際に、現在のA代表は三笘薫や冨安健洋といった東京五輪世代が中心となっている。一方で、キャリアの中で五輪とは無縁ながら、A代表で確かな実績を築き上げてきた選手も多数存在する。今回は、五輪未経験も、A代表でスターになった選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
まさかの落選も…。W杯4回出場、史上最強の守護神
GK:川島永嗣(かわしま・えいじ) 生年月日:1983年3月20日 逃した五輪:アテネ五輪(2004年) A代表通算成績:95試合104失点 およそ14年にわたってA代表のゴールキーパーとして選出されてきた川島永嗣だが、実は五輪出場の経験はない。 アテネ世代の川島は、2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権(現・FIFA U-20ワールドカップ)でU-20日本代表の正守護神としてベスト8進出に貢献した。グループステージ初戦のU-20イングランド代表戦や第3節のU-20エジプト代表戦で見せた数々の好セーブは、アテネ五輪メンバーに選ばれてもおかしくないインパクトがあった。 だが、2004年に入ると川島は思わぬ急ブレーキを強いられる。当時J2の大宮アルディージャからJ1の名古屋グランパスへ移籍したが、結果的にはこの移籍が川島のアテネ五輪メンバー落選に大きく響くことになる。A代表経験が豊富な楢﨑正剛とのレギュラー争いに敗れ、出場機会が激減してしまった。 その後、川島は2007シーズンに加入した川崎フロンターレで正GKの座を確保。A代表でも守護神として活躍するようになり、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップではベスト16進出に貢献した。その後も活躍を続け、ワールドカップメンバーに4回選出されるなど、レジェンドと呼ぶに相応しいキャリアを築いていった。
五輪後に覚醒! 日本史上最強かつ最高のレジェンド
MF:長谷部誠(はせべ・まこと) 生年月日:1984年1月18日 逃した五輪:アテネ五輪(2004年) A代表通算成績:114試合2得点10アシスト 誰もが認める日本サッカー界屈指のレジェンドである長谷部誠。だが、その素晴らしいプロフィールの中に「五輪出場」の文字はない。 そもそも、長谷部は育成年代で華々しい活躍をしたことがほとんどない。アテネ五輪メンバーが発表された時も、世間の注目はアジア最終予選でチームを力強くけん引したキャプテン・鈴木啓太の落選に集まっており、長谷部の選外はそれほどニュースになることもなかった。 しかし、アテネ五輪以降にメキメキと力をつけた長谷部は、2008年5月の岡田武史監督就任以降はA代表に定着。遠藤保仁とダブルボランチを形成し、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップではゲームキャプテンとしてチームをまとめあげた。その後も歴代監督から絶大な信頼を得て、A代表の象徴的存在に。通算114試合に出場して2得点10アシストをマークし、圧倒的なキャプテンシーでチームメイトを鼓舞し続けた。 40歳になった長谷部は、2023/24シーズン限りで現役を引退した。長年過ごしたドイツで“カイザー”の異名を取る男は、五輪と無縁ながらも皆から尊敬されるようなキャリアを築き上げた。