「プレゼント」に縁のなかった子供時代。極貧を抜け出したら、人にプレゼントするのが喜びになった話
おもちゃや絵本もほとんどない部屋だった
本などでも書いておりますが、ワタクシ、生粋のボンビー育ち。ゆえに幼い頃から、周囲との違いをたくさん感じて育ちました。 誕生日やクリスマスプレゼント、お年玉をもらうこともなかったですし、お小遣いもありませんでした。おもちゃや絵本もほとんどない部屋で子ども時代を過ごしました。お金の不安が絶えない環境で育ったので、何を買うのも超慎重。お金を使うことが怖くて怖くてたまらない!! ながーーーいボンビー生活で身に付いた感覚・貧乏性は、そう簡単には直りません。 しかし、大人になって、この仕事に就いて、いろんな人に出会って、いろんな世界を教えてもらいました。例えば、季節の行事を大事にするとか、お洒落なカフェでおいしい紅茶を飲む、とか。そんな、今まで全く知らなかった文化的な生活の大切さや尊さを、少しずつですが知っていけているように思います。
誕生日に「デパコス」をもらって芽生えた感情は「怖い」
大学進学と共に、地元を離れました。大学には出身地もバラバラで、地元では絶対に交わらないであろう人たちがたくさんいました。 関西の大学だったので、関西弁やボケとツッコミの文化に驚いたのはもちろん、それ以外にもカルチャーショックを受けることがたくさんありました。 例えば、学生生活で必要なPC一つとっても、周りの子たちは生協が推奨する16万円のモデルを持っていたのです。一方、実家からの仕送りゼロの私はPCを買うお金がなく、2年間学校のPCルームに通って課題をこなしました。さらに、大学生活では人間関係を築くのにもお金が必要でした。 飲み会の会費、遊ぶときの外食代や映画代……。ふとした場面で、金銭感覚の違いが露わになります。私は1000円の出費でも、断腸の思いでした。でも、友人たちは、お金を使うことに躊躇がないのです。 中でもよく覚えているのが、誕生日に「デパコス」をもらった日のこと。高校生まで、友だちへのプレゼントのお返しは500円以内という中で育った私は、数千円するプレゼントをもらったとき、「嬉しい」よりも「怖い、どうしよう!!!!」という感覚が上回りました。高価なものをもらってしまった限りは、それに見合ったものを返さないといけない。でも、そんなお金ないよ!! と苦悩しました。 結果、自分のことでは絶対に使わない3000円を握りしめて、「ロクシタン」に行き、震える手で会計をしたことを覚えています。