「プレゼント」に縁のなかった子供時代。極貧を抜け出したら、人にプレゼントするのが喜びになった話
イメージを変えたのは、ささやかな「差し入れ」だった
3000円は当時の私からしたら超大金。だって、靴は990円、バッグは500円、服は790円のものを着ていましたから。3000円は一体何日分の食費なんだ……?! そんなことを考えてしまうんです。だから、プレゼントをもらうということは、私にとっては、嬉しい・楽しいではなく、大金をはたいてお返ししないといけないというプレッシャーと、お金の不安にまみれたものだったのです。 しかし、社会人になり、だんだん変化が訪れるようになりました。初期の頃はパワハラに遭ったりいじめられたり、人間関係に悩まされ続けましたが、人間不信になりそうだったとき、いい職場に恵まれました。そこではみんなとても優しくて、仕事が忙しいときは、「お疲れさま」と私の好きなお菓子をわざわざ買ってプレゼントしてくれました。 その職場を辞めるときも、みんながお菓子を詰め合わせたものを、手紙と共に贈ってくれました。そのとき、プレゼントは、日頃の感謝など、相手への温かい思いを形にするものなのだ、と素直に思えたんです。
出張帰りの「お土産」に感動&興奮
また、別の職場では、社員たちが常に出張に行くところで、行く先々でお土産を買っては、非正規のスタッフたちにも配ってくれたんです。私は旅行に行くこともないですから、行ったことのない地域や、外国のお土産を食べるたび、こんなお菓子があったんだ!!! と感動し、興奮しました。 それからというもの、私も仕事でどこかへ行ったり、実家に帰ったりした際はみんなにお土産を買って帰るようになりました。 いつしか、人にものを贈るということが、自分の中で大きな喜びになっていました。 東京に出てきたばかりで、お金がなかったときに何かと支えてくれた親友の誕生日には、おいしいご飯をご馳走し、自分なりに悩んでプレゼントを贈りました。 誰かに会うときは、手土産を持っていくことも増えました。あの人は何をもらったら嬉しいかな? と考える時間が、とても楽しくなったのです。自分がすごくおいしい! と感動したものは、いつもお世話になった人にも食べて欲しい! と思い、プレゼントすることもあります。
ヒオカ