苦節6年で初勝利…なぜドラフト9位“都立の星“鈴木優がオリックス連敗ストップのヒーローになれたのか
「一人ひとり、ワンアウト、ワンアウトを集中して捕ることだけを考えた。手を攣ることがあったけど、投球内容を覚えていないくらい集中していた。投げさせていただいている立場。正直、連敗を止める、ということは考えなくて、ワンアウトでも多く抑えることだけを考えて投げ、それが結果につながりました」 幻惑の73球だった。 ピッチングの内訳はツーシームが47%(34球)、ストレート、縦のスライダーが23%(共に17球)、スプリットが7%(5球)というもの。小さく沈むツーシームを丁寧に低めに集めた。この138、139キロのボールをカウント球、勝負球として使い、同じ腕の振りでストレートを投げ込んでくるので最速146キロ前後のボールがとてつもなく速く見えるのだ。加えて縦のスライダー、スプリットという縦の変化もプラスして山賊打線を困惑させた。 試合後、西武の辻監督は、「うーん。これもプロ野球あるある」と、プロ2度目の先発投手、“初モノ”に戸惑ったゲームを表現して嘆いた。 「初モノですから。どういう球を投げるかは、ミーティングをしているが、打席に入らないと、どういう質のものか(わからない)。今までにないようなピッチャーで的を絞り辛かった」 そして鈴木のピッチングをこう分析した。 「ツーシーム、スライダー、フォークに時折、真っすぐ。フォークも同じタイミングのフォークじゃない。速めのスプリットみたいなのもあり、三振を取る落差の大きいフォークもある。もうちょっと低めを見極めるようにならないと」 7個奪った三振の勝負球は、ツーシームが3個、縦スラが3個、ストレートが1個とバラエティに富んだ。5本塁打と好調の4番の山川から2つ奪った三振は、いずれも縦のスライダー。タイミングが合わないと見ると、それを徹底する頭脳的な配球だった。 苦節6年である。 大田区にある都立雪谷高は、2003年夏に激戦区の東東京を勝ち抜き都立高として史上3校目の甲子園出場を果たした強豪校だ。鈴木は1年秋からエースとなり、2年夏に3試合連続完封を演じてプロスカウトの注目を集めた。3年夏は準々決勝に進出して「都立旋風再び」と話題を集めたが、楽天のオコエ瑠偉がいた関東一高に3-5で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。それでもオリックスは、2014年にドラフト最後の9巡目で鈴木を指名した。ちなみにこの年のドラフトでは日ハムの有原航平、楽天の安楽智大、巨人の岡本和真、西武の高橋光成らが注目を集めていた。 しかし、プロの世界は”都立の星”の前に厳しく立ちはだかった。ルーキーイヤーから1軍で中継ぎ登板機会はあったが、結果を残せず2軍暮らしが続いた。 「最初の1年目、2年目は(1軍で)投げさせてもらいましたが、実力不足を痛感しました。そこから地道に1年、1年やることを決めてコーチの方々と取り組み、1年、1年、成長している実感がありました。腐らず地道にやったと言い切れるくらい。それが良かった」 素材を信じたオリックス育成の我慢と本人の努力がリンクした。