「絶対にみんな喜んで死んでゆくと信じてもらいたい」…特攻に選ばれた若者たちが見せた「出撃前夜」の「あまりに異様な様相」
「空地分離」の問題点
本来、角田が所属する二五二空の本部はマバラカット西飛行場に置かれているが、「空地分離」の建前から、セブに着陸した以上はセブ基地指揮官である中島正中佐(11月1日進級)の指揮下に入らなければならない。 「空地分離」は、飛行機隊を一つのユニットとして臨機応変に戦わせるため、軍令部参謀・源田実中佐の発案で始まった制度だが、いざ実施されてみると、さまざまな問題が露呈してきた。 攻撃第五飛行隊長・大淵珪三大尉は私のインタビューに次のように語っている。 「私がいまでも釈然としないのは、要するに特設飛行隊には人事権がないんです。人事権は、上部組織の航空隊、攻撃第五飛行隊でいうと七〇一空の所管ですが、われわれ飛行機隊は着陸した先の基地指揮官の命令に従うことになるから、おかしなことになる。 人事権がないから、本来は隊員と一緒についてくるはずの履歴などの書類が隊長の私にまわってこない。だから、別の部隊が壊滅して私の隊に編入される隊員がいたり、私の部下がよその基地に着陸してそこの指揮下に入ったりしても、こちらではわからないわけですよ。自分の部下の把握もできないおかしな制度でしたね」 じっさい、角田少尉も、このフィリピン戦の間だけ(昭和19年10月~20年2月)、履歴が空白になっている。その間は、俸給も支払われていないという。現存する航空記録で、やはりこの時期だけが空欄になっている搭乗員もいる。着陸した先でよその部隊の指揮下で出撃し、原隊で戦死が把握されず、消息不明のままの搭乗員もいるという。 「空地分離」は、一見、合理的で機動性に富む制度であるかにみえたが、しょせんはにわか仕立てで、現場の実情が制度に追いついていない。これは、元パイロットとはいえ、いまはエリート官僚である源田実の、机上の遊戯に過ぎないものだった。(続く)
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)