電車が運休なのに「這ってでも来い」、平社員にも「ワーカホリック」を求める…外国人も“ドン引き”日本企業の非情さ
日本の学校は「いったん道から外れるとやり直しが利かない」
見逃せないのが、日本以外の先進国では「人々の人生」というものがもっとフレキシブルに考えられていることです。 これは、既に小学校で始まっています。日本ではやけに「きっちり」していて、3月生まれの子どもはどんなに身体が小さく、まだ幼くても、小学校1年生に入れられてしまいます。誕生日によって、「くっきり、きっかり」と「ここからは今年1年生」と分けられてしまいます。 ヨーロッパの場合は、「この子は6歳になったばかりで、まだ遊び盛り。勉強するには落ち着きが足りないので、小学校1年生に上がらせるのは来年にしたい」と親が望めば、その通りにできます。 たとえばドイツでは小学校やその後につながる学校で、1年の成績が芳しくないと落第し、1学年を2回やったりしますし、学業の途中で1年アメリカにホームステイして現地の学校に通い、ドイツの学業を中断することもできるので、同じ学年でもさまざまな年齢の子がいます。当然、ギムナジウムの卒業時にも18歳の子がいたり、19歳の子がいたり、20歳の子がいたりします。 さらに大学に入る前に1年間世界を放浪する旅に出たり、1年間国内でボランティアをする人もいます。大学に入ってからも、専攻する学科によって大学に通う期間も違いますし、当然大学卒業時の年齢も異なり、就職活動をする時期も全員バラバラです。 実は就職活動に関しては、日本のほうが大学側も企業側も面倒見がよく、日本の会社には「新人を育てる」という良さがあることは指摘しておかないとなりません。 その一方で、日本では全員が大学在学中の決まった時期に就職活動をし、卒業時の22歳で就職するため、年齢的にも経歴的にも「周りと違う」人は浮いてしまい、いったん道から外れるとなかなかやり直しが利かないという難点があります。
サンドラ・ヘフェリン