「僕らが本を積む理由」黒木許子さんが冬休みにしたいこと
誰かの本棚にあった本
『エドウィン・マルハウス』スティーヴン・ミルハウザー著、岸本佐知子訳 会社員時代の上司Aさんが定年退職を迎えた。30年以上の歳月が詰まったデスクを、彼女は数週間かけて整理。文学好きで書籍担当でもあったため、荷物の中にはそれはたくさんの本があった。この一冊は、片付け中のAさんのデスクそばの、「ご自由にどうぞ」と付されたコーナーで発見。題名も著者も見たことのない並びのカタカナで、帯コメントでかろうじて小説だとわかる。表紙の肖像にとても心惹かれて手に取り、そのまま持って帰った。 しかしここ数週間は、電車の中でもメールか原稿、もしくは脳を空にするためのネットサーフィン。なかなか着手できていない。自室でこの本を目にするたびにAさんのことが浮かぶ。優しくてチャーミングなAさん。次に会うときまでにきちんと読んでおこうと思う。でも、そもそもこれは本当に彼女の本だったのだろうか?「ご自由に…」コーナーにはAさん以外の人も物を置いていたはずだ。今、私はこの本をAさんから受け継いだと思って棚に積み、必ずや読み、その読書体験とともに生きるつもりになっている。しかし、いずれAさんに「エドウィン・マルハウスが…」と話しかけたときに「何?ジーンズの話?」ときょとんとされるのかもしれない。十分にあり得る。でも、それもまた人生だろう。そんな妄想すらも楽しくて、読む前からすでに読書の恩恵がものすごい。 ●黒木許子 ライター、編集、最近はミュージアムの展示企画も。出版社勤務のちフランスで博物館学の修士号取得。『GINZA』ではインタビューしたりスナップしたり。ハニワより土偶派。 Edit_Tomoe Miyake
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