マナー講座の「正しい挨拶の仕方」に確たる根拠はない…頭の悪い人が陥りやすい単純パターン化の落とし穴
■言葉の本質を知ると見える世界が広がる 読書で日本語の論理展開を身につけるだけではなく、外国語も自分でできる範囲で習得しましょう。なぜなら、外国語の文法や表現の仕方がわかると、日本語も含めて言葉の使い方、その意味・範囲が以前よりもはっきりつかめるようになり、これまでよりも論理的な文章を組み立てる力を持てるようになるからです。 どういう人であっても、言語を勉強するのはとても大切なことです。なぜならば、使う言葉によって物事の関係性についての見方ががらりと変わるからです。それは自分にとって人生を新しくしていくことと同じなのです。 一方で、日常の日本語の一部しか使えない人の会話言語は、必要のない副詞や間投詞がとても多いものです。もしくは名詞や動詞だらけです。最近では都心の電車の中で、若い人たちが「スゲえ、ヤベえ」などと話しているようですが、それは言語を知らない人の無意味な叫び声でしかないでしょう。SNSで感情的な、説明不足の短い言葉ばかりをやり取りしているのが、悪影響を及ぼしているのかもしれません。 また、自分が使える言葉の範囲を広くしつつ、表現を理解する力も磨いておきましょう。言葉は奥が深いので、正確な意味をつかめていない場合も少なくないからです。 言葉を知らなければ、聞いたことも、読んだこともきちんと理解できないし、表現もできないために、自分の意見をうまく伝えることもできません。ですから、言葉が何を示しているのか理解するのは、とても大切なことなのです。 一例を挙げてみましょう。ひと口に「たとえ話」と言っても、実は、「暗喩」「提喩」「換喩」といった表現方法があるのをご存じでしょうか? この中で、提喩は、日本で“花”と言えば「桜」を指し、美人と言えば「小町」と呼ばれるように、全体で典型例を表現したり、典型例で全体を表したりする手法。換喩は、「青い目」=西洋人、「永田町」=国会といったように、対象を関係が深い事物に言い換える方法です。 とりわけ、聖書など宗教の文書では、比喩を明示的に表現しない暗喩がよく用いられます。 例えば、『マタイによる福音書』には、「幼子のようにならなければ、天国に入ることができない」というイエスの言葉があります。これは、「精神年齢が低くないと、天国に行けない」という意味ではなく、「子どものように、素直な心のままで生きるようにせよ」といった教えを示しているのです。 仏教でも、仏陀は悟りを開くと、「山の向こう側の人が何をしているか、見えるようになる」と言ったのですが、これは人間の本質を知ってさえいれば、「どこにいても、人間の行動がわかる」といった意味にすぎません。ところが、カルト集団のオウム真理教は、それを額面通り「仏陀の超能力」の一つなどと解釈して、「悟りを開くと、空中浮遊のような奇跡が起こせる」という真っ赤なウソを盛んにPRしていました。 ■ノウハウを求めると成功から遠ざかる理由 言葉を理解する場合、意味をいくつかの単位やカテゴリーに強引に切り分けてしまう力を持つ「言語の分節化作用」にも注意しておくべきです。 これは、現実としては分けられていないものを言葉の表現の上で分けてしまうことです。言葉によって分けられたその姿を事実だとみなすと、大きな誤りが生じてしまうことになります。 例えば、男と女という言葉があることによって、「この世には、男と女しかいない」と断定したりしますが、現実には、だいたい2000分の1の確率で、生物学的な「両性具有」の赤ちゃんも生まれてきます。現実は言葉ほど単純ではないのです。音楽のジャンル分けなども、分節化そのものです。メロディラインだけ見れば、ロックとクラシックをジャンル分けすることなどできません。虹の色が7色だというのも分節化されたあげくの便宜的な表現です。実際の虹の色をくっきりと7つに分けることは不可能なのです。 分節化は、物事を何でも決めつけたがる人、権威や権力を好む人、政治家や官僚も国民をたぶらかすためによく使っています。これは例えば、法律上の年齢分けによる行政処理の区別などです。もちろん、民族や人種、国籍なども分節化だし、国境も分節化された架空のものです。 物事を理解する際によく陥りがちな間違いの一つとして目立つのが安易な「パターン化」や「定式化」です。これは物事の特徴を抽出し、整理して全体を一定の枠組みに当てはめてしまうことを指します。 多くの人は、学校教育で定式化を教え込まれ、それに基づいて論理を組み立て、物事を考えたり、話をしたりします。しかし、人間の現実は、簡単にパターン化などできるものではありません。マナー講座でも、「正しい挨拶の仕方」などと言って教えていますが、マナーやその正しさなんて本来、確たる根拠などないのです。例えば、名刺の受け渡し方なども、国によってだいぶ異なります。ところが、日本人は、「日本の作法が正しいマナー」と講師に言われたりすると、無批判に鵜呑みにしてしまうのです。 もう一つ、頭の悪い人が陥りやすい間違いが何かと言えば、ノウハウや方法論を求めたがること。残念ながら、そういう人がとても多いのです。「メソッドさえ知ればOK」という姿勢はとてもいびつです。そもそもなんらかの方法論がいつの場合も使えるはずがないし、そのつどほかの新しい価値観や対処方法を発見していくほうがその場のケースに合っています。 それなのに、例えば「成功者が隠している特別なノウハウやコツがあるはずだ」などと思うのは、勘ぐりすぎでしょう。そうした態度でいる限り、新しい視点から生まれた価値は生み出せません。例えば、画家や音楽家といった芸術家は、みんな自分なりのスタイルを確立したからこそ、優れた芸術家として認められてきたわけです。 そのほか、頭をよくする思考術としては、何事も「主体的に考えてみる」ことが挙げられるでしょう。 人間は、自分の頭と言葉で一度考え直した物事しか、消化・定着させられないのです。ほかの人にどんな有用な知識を教わって、学んでも、自分の頭で考えなおしてみなければ、身につきません。自分で考えることもまた、絶対に自分にしかできない人生のたいせつな体験なのです。 それに、主体的に生きていないと、仕事への服従や生活での反応で、日々を漫然と過ごすようになるでしょう。それでは、囚人と同じように、自由を奪われた貧しい人生になります。 また、「世間の風潮に左右されない考え方」を貫くのも肝心です。世の中を変えるような偉人の大半は、その時代の固定観念や偏見とは無縁で、世間に依存したり、同調したりしないタイプでした。そういう自由な人しか、新しい行動や思想は実現できないのです。 例えば、ビジネスの世界で、新しい商品やサービスの開発に使う「マーケティング」は、大外れはしないものの、イノベーションを起こすことはできません。顧客のニーズ分析では、類推判断の域を脱することはできず、既存の商品やサービスの模倣、大衆迎合などになってしまうからです。