マナー講座の「正しい挨拶の仕方」に確たる根拠はない…頭の悪い人が陥りやすい単純パターン化の落とし穴
「頭がいい人」とはいったいどんな人? 一方で「頭が悪い人」とはどんな人?『超訳 ニーチェの言葉』の著者が頭がよくなる思考術を伝授する――。 【図表】あなたも思考能力を高めることができる頭がよくなる方法7 ■高学歴のあの人は本当に頭がいいのか 最近、「頭がいい人」についておかしな決めつけがはびこっているように思います。例えば、相手を論破できる人こそ頭がいい、とされているようです。これは、『論破力』などの著書を出して、「論破王」と呼ばれている実業家のひろゆき(西村博之)氏の発言の影響があるのでしょうか。「高齢者の集団自決」の問題で炎上した成田悠輔氏のように、過激で非現実的な意見を持つ人物が、「論客」としてブレークしたのも、その背景にあるのでしょう。 そうした「論客」なる人は一種のコメディアンなのでしょうか。おもしろおかしくディベートをするのはかまわないのですが、そこでは表面的な事柄だけに終始し、本質を突いた建設的な内容になっていません。そういう対話遊びは相手をたんに「言い負かす」だけが目的の不毛で冷笑的な論戦ゲームにすぎず、相手の主張のわずかに不用意な点を突く「揚げ足取り」をしたり、詭弁を弄して相手を困らせたりしているようにしか見えません。 相手を「論破する」人は、「頭の回転が速い」「論理的な思考力やコミュニケーション能力が高い」と見えるのかもしれません。とはいえ、相手を言いくるめる技術は、知的能力のほんの一部です。その部分についての無責任な評価だけを真に受けて、「あの人は頭がいい」と断定するのは、それこそ「頭が悪い証拠」の一つでしょう。 残念ながら、多くの人が、誰か他人がつけた「レッテル」で、他人や物事を決めつけてしまう傾向にあります。その典型例は「学歴」です。高学歴の人に対して、「あの人は頭がいいはず」と、無条件に決めつけます。確かに、学歴は、その人の知的能力のほんの一部、しかも処理知性があることだけを証明してはいますが、それだけで、本当に思考能力のよし悪しまで判断できるのでしょうか? 物事の課題解決能力が高いことは、頭が回ることを少しは意味するのでしょう。しかし、学歴が高い霞が関のキャリア官僚たちの実際はどうでしょうか? 彼らは、最高学府を卒業し、難関だとされる国家公務員試験を突破した「知のエリート」のはずなのに、やることなすこと、間違いだらけではありませんか。 例えば、ほかの先進諸国が過去約30年間、経済成長をしてきた中で、日本のみが取り残され、不毛な「ゼロ成長」のままでした。つまり、霞が関が企画・立案した経済政策が、何ら奏功しなかったことを、今の現実が明らかに示しているわけです。日本が、これほどまでに「貧しい国」に転落したのは、政治家や官僚といった「頭が悪いリーダー」に、国家の運営を委ねてきた報いです。 頭が悪い人によく見られる大きな特徴の1つ目は「自意識や自己主張が異様に強い」ということです。これは、自分の考え方や物事の見方に凝り固まっていて、「他人の話を聞きたがらない」ということにもつながっています。 2つ目が「属性や経歴で他人を判断しがち」であること。つまり、そうした人には、自分の経験や思考に基づく評価軸がないわけです。例えば、企業経営者が、外部から幹部社員を採用するとき、その人の資質や人格などを見極めずに、書類上の属性や経歴だけで決めたらどうなるでしょうか? 3つ目が「前例踏襲」で、何事もステレオタイプに当てはめること。これは、自分の頭であらためて考えることを放棄しているわけです。 こういう「頭の悪さ」がわかれば、本当の「頭のよさ」もわかってくるはずです。頭がいい人は、固定観念にとらわれることなく、状況に応じて柔軟な考え方をします。自分の経験だけでなく、読書で得た知識も含めて、他人の経験も取り入れて咀嚼し、目下の問題に合わせて考え方を新しい方向に発展させていくことができるのです。