「どうせ無理だなと思っていた」45歳で大学生になった相川七瀬、それでも学び直しを決めた理由
歌手活動と3人の子育てをしながら、2020年に國學院大學に入学した相川七瀬さん。40歳目前で学び直しを決意し、高卒認定試験、大学受験に挑んだという。神道文化学部で各地のお祭りや民俗学を学び、コロナ禍でオンライン授業も経験。「さまざまな状況の人が学べる環境を整えて、せめて学問は平等であって欲しい」と語る相川さんに、大人になってから学び直すことついて話を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「どうせ無理」と思っていた学び直し。40代で一念発起した理由
――相川さんがもう一度学び直したいと思ったのは、どんなきっかけがあったのですか? 相川七瀬: 30代の頃から学び直したいと思っていたのですが、「どうせ無理だな」とか「やってもできない」という気持ちが強く、自分の意思を自分で壊してしまっていました。 私は高校2年生の時に中退したのですが、中退後に大学入学資格検定を取って大学を卒業した先輩たちがたくさんいたんです。私もやっぱりあきらめきれないと思って、ちょうど40歳になった頃、まずは高卒認定を取るところからスタートしました。大学に行くのは娘が小学生になってからでないと難しいと思っていたので、逆算して「今年はここまで取る」「ここまで取れたら大学を考える」と細かく計画を立てて学んでいきました。「無理はしない」と決めて、一つずつ成功体験を積みながら、2020年に國學院大學に入学しました。 ――「どうせできない」と思っていたところから、なぜ勉強しようと思うようになったのでしょうか? 相川七瀬: これまで、どうせできないからと言っていろいろなことを放り投げてきましたが、子どもたちの勉強する姿や受験を通して、勉強で学ぶべきなのは「とにかく考えて答えを出すプロセス」だと気づいたんです。 そこは私に圧倒的に足りていなかった部分だったので、知識を身につけるだけでなく、そういう能力も身につけたかった。「どうやったらこの問題は解決するんだろう」と考える力が、高卒認定の2年間で随分と身についたと感じています。 ――大学に入学してからの生活はいかがですか? 相川七瀬: 自分から情報を取りに行かないと何も得ることはできないと実感しています。 ちょうどコロナ禍が始まった頃に入学したのですが、最初はレポートやレジュメってどうやって書くんだろうって。レポートを提出するように言われるものの、授業はライブ配信ではなくオンデマンドだったので、その場ですぐに質問はできなかったですしね。ただ、待っていても誰も教えてくれないので私はいろんな人に聞きまくりました。友達や先輩でもいいし、先生や職員の方でもいいので、おそれずに聞くことが大切だと思います。大学生は基本的に遊んでいても勉強していても、すべて自己責任。情報は常に自分から取りに行って、わからないことは全部聞く。大学1年の長男にも「授業の時は必ず一番前に座るように」とだけ言っていますね。 ――学生仲間である10代、20代の皆さんとは、普段どのように交流しているのでしょうか。 相川七瀬: 私の方が圧倒的に年上で経験もあるので、相談に乗ることが多いですね。他にも同じゼミの友人や授業で一緒になった友人などと、「この授業が面白かったよ」と情報交換もします。 この10年間で祭祀(さいし)のマニアックな本をたくさん集めていたので、頼まれて貸し出すこともあります。自分が買った本が研究や講演会の資料作成などに役立っていると思うと、昔無駄遣いのように買ったものも無駄じゃなかったんだなって。「自分に投資していたんだな」と感じますね。 ――大学院への進学や研究者になることも視野に入れているそうですね。 相川七瀬: やっぱりすごく興味があるんですよね。ライブツアーがテストやレポートと重なって、寝られなくて苦しいときとか、何やってるんだろう私と考えることもありますが、でもやっぱり知りたいんだよなって。自分じゃなきゃ見つけられない、自分が納得する答えが欲しいんです。 大学4年間でその答えが見つかればいいですけど、見つからないだろうなと。研究という道で学びを突き進めて、興味や好奇心を掘っていくしかないのかなと思っています。