日本通のアラン・ドロンが「パリの日本大使公邸」で舞った宴の夜、日本の文化外交、「国家ブランド」づくりに「物語」はあるのか?
天性の「ギャラン」
こういったレセプションの日には、大使館員夫人たちは着物姿で接待役に回る。 その着物姿の夫人たちがアラン・ドロンの後について歩く。ホストとしての責任感と「現代の男のエレガンス」を体現する美男への自然な反応なのであろう。 こうした館員夫人たちに取り巻かれて何気ない会話をしている最中にドロン氏がもっていたグラスの水の雫が一滴 (彼はワインを勧めても飲まなかった)、一等書記官夫人の着物の裾にこぼれた。筆者が執事にダスターを要求する間もなく、アラン・ドロンはすぐさま水の入ったグラスを筆者に預けて、彼女の前にひざまずいた。 自分のハンケチで雫を払おうとしたのだ。着物の価値を知っている日本通のアラン・ドロンの瞬時の行為であるともいえたが、そのときに筆者を含む周囲の人が感じたのは、「ギャラン」という表現だった。男性の女性に対する敬意や優しさ・礼儀という意味だ。この人は良くも悪くも天性の「ギャラン」なのだ。 着物姿の外交夫人の前にひざまずいた、老いたとはいえ世界の美男子を見た女性たちが騒然となったことは言うまでもない。日本大使館の式典の宴はアラン・ドロンを主役とする映画のいちシーンと化してしまった。
当夜宴の後の大使館での反省会では、大使が開口一番「ドロンさんに席巻されたな。大臣や政治家の存在も掻き消えそうだったな」という趣旨の発言からはじまった。当夜は『崩壊した帝国』はじめロシア関連の多くの書籍で知られる政治・歴史学者であり政治家のエレーヌ・カレール・ダンコースも出席していた。その他にもメディアでその顔を見かける大臣が幾人か出席していたが、アラン・ドロンとミレイユ・マチューの輪舞にはかなわなかった。
個人の発信する国家イメージ
人の心は計り知れない。合理的判断でことは動かない。外交もしかりだ。何事においても世界一で、国際社会をだれよりもよく考えているアメリカ外交だが、結局はアメリカ的な世界観でしかない。みんなアメリカがリーダーにふさわしい国だと認めていながら、世界はアメリカの世界観だけでは動いていない。 パブリック・ディプロマシーという言葉は冷戦時代の1960年代からあった。ジャズやスポーツ、ハリウッド映画の世界的普及などは戦後アメリカの文化外交のツールだ。 そして冷戦終結後アメリカは軍事力や経済力ではなく、どのようにして相手の国を平和的・和解的に説得し、協力的にしていくのか、を模索することになる。冷戦の覇者の力量の見せ所だった。ジョゼフ・ナイの書籍によって有名になった「ソフトパワー」である。 しかしその後ひと世代がたち、私たちは知ることになる。世界はソフトパワーではなく、パワーポリティックスの魑魅魍魎の世界に逆戻りしつつある。こうした中で「平和国家」を標榜する日本外交にはその世界の平和と安定のための「国家イメージ戦略」をもとにした外交が求められている。 ソフトパワーがその外交的な影響力を発揮するには、良いイメージが不可欠だ。その背景には歴史があり、それに支えられた奥深い文化があり、他方で先進的な技術や進取の気性がある。そして何よりも国家のイメージ・ブランド力には信頼・尊敬が必要となる。筆者の持論である。日本の条件は悪くない。 筆者は日ごろから文化外交を語るときにフランスの例をよく出す。その際に、「人」そのものが外交のツールであるとよく指摘している。 つまりフランス人は世界中どこに行っても生活していくことができるのではないか。フランス人というだけでそこに人々は一つの受け入れやすいイメージを持っている。誰かしら相手になってくれる。人そのものが国家ブランドなのである。 そしてそのイメージは好感度の高いものであることは改めて言うまでもない。外交にとってそのイメージはとても大切だ。