日本通のアラン・ドロンが「パリの日本大使公邸」で舞った宴の夜、日本の文化外交、「国家ブランド」づくりに「物語」はあるのか?
「クールジャパン」に物語はあるのか
たしかに日本文化は世界に存在感を持っている。それをどこまでわたしたちは日本文化のコンテンツとして世界に発信できるのか。それを外交にどれだけ貢献させることができているのか。日本の国家ブランド戦略としてどこまで位置付けられているのか。 文化に普遍性を与え、ブランド化してしまう。コンテンツの背景にはそうした人々が自分たちの共通性や普遍性を共有しうる、文脈づくりと物語が必要だ。 世界的に有名な歌手と銀幕のスターが会場で輪舞を踊り、彼が和服の日本女性の前でひざまずく。そこには無数の物語が生まれそうだ。 そして人々はそれをフランスの文化だと思い、それに共感する自分を見出して安心し、豊かな気持ちになる。そこにはアメリカが力と財力と知恵を絞ってもなかなか達成しえないものがあるのだというと、フランスを持ち上げすぎだろうか。 翻って、「クールジャパン」、「ネオジャポニズム」。フランス人ならどこまでも物語を作りそうだが、さて我々は自分たちのストーリを国家ブランドとして物語り、発信することができているのだろうか。 これは文化の発信力というだけではない。普遍的世界観と物語を語ろうとする意志、つまり世界に真剣にコミットし、その解決のための議論の場をこころから共有しようとする意志を不可欠とする。 そうした真の意味での国際的普遍主義に正面から立ち向かう意思を基礎とする外交の力量にかかっているのではないだろうか。そしてそれを体現するのは一人ひとりの個人であることも大きなポイントだ。
渡邊啓貴