日本通のアラン・ドロンが「パリの日本大使公邸」で舞った宴の夜、日本の文化外交、「国家ブランド」づくりに「物語」はあるのか?
いうまでもなく、アラン・ドロンは映画「サムライ」でその親日ぶりが知られていたし、クロード・モネの「印象 日の出」の盗難騒ぎによって日仏間でスキャンダル事件となった時に一部のゴシップ誌で名前が出たほど、芸能界きっての日本通でもあった。
宴の主役に
「ミレイユはどこにいるのか」と、ドロン氏の第一声。それは60-80年代世界を席巻したシャンソンの女王、ミレイユ・マチューのことを指していた。この時の天皇誕生日には、この世界的に有名なフランス人女性歌手が来ることは大使館内でも事前に少し噂になっていた。 彼女は実姉と一緒に開始早々から会場に来ていて、天婦羅・刺身とお寿司のテーブルの前で、日本酒のお猪口をもって、最初から上機嫌に騒いでいる。陽気な人柄らしく、だれかれなく話しながらその場は姉妹二人ですでにステージができている雰囲気だった。 アラン・ドロンの問いに、筆者が「折角ですからまず大使にご挨拶いただけませんか」、というと、「もちろんだとも」と殊勝な顔をしながらも落ち着きなく訪問者の列に並んだ。そして、表敬のあいさつが終わるや、再びわたしに「ミレイユはどこか」と、問うた。 振り返ったアラン・ドロンに、もうすでに気が付いていたのか、ミレイユ・マチューは、周囲に良く通る声で、「アラン」と呼びかけた。そして彼の方も、「ミレイユ」と、返した。 その夜の宴の主役はそこで決まった。人々が一瞬振り向く中で、メインテーブルの前で二人は歩み寄り、抱擁してくるくると回り始めたのだ。会場の人々はみんな、二人を取り囲むように、しかし二人の回転を妨げない距離を保ちつつ、会場は円形ステージに変貌してしまった。 「元気そうね。久しぶりだわ」 「連絡を受けたので来ることにしたのだ」 「待っていたのよ」 ひとしきり二人の会話が交わされて一段落した後、アラン・ドロンは来場者の要請にこたえて写真に納まったり、挨拶に応じたりしていた。