夫との死別、10年の空白を経て――「葛藤をさらけ出して進む」Awichの覚悟
「撃たれた」と取り乱す義母からの電話
起業学とマーケティング学の学士号を取得し、家族と共に日本に帰国することを決めた。 「語学力を必要とする企業もあるし、そのほうが生計を立てられると思って。彼は畑をやりたいと言っていたし。音楽は夢のまた夢だけど、それなりの生活はできるんじゃないかと」 2011年5月、就職活動のために一人で東京へ。その留守の間に、夫が射殺される。 「彼のお母さんから、取り乱した電話がかかってきて。撃たれた、撃たれたって。最初は、数カ月前に撃たれたことをお母さんに隠していたから、それがバレたと思ったんです。いざこざがあって、家に向けて発砲されたこともありました。でもお母さんが、お医者さんが息を引き取ったと言ってるって。警察も探ってるし、(犯人が)誰かも分からないし、とにかく撃たれて亡くなったって」 すぐにインディアナポリスへ戻ったが、葬儀には間に合わなかった。 「ずっと喧嘩をしてたんですけど、亡くなる2日前が出会った記念日だったから、『いろいろ教えてくれてありがとう』とメールしたんです。返信があって、その次の日にまた『I love you, I miss you, I hope everything is good with you.』とメールが来た。それが最後でした」 娘にありのままを話すことに迷いはなかったという。 「うそや隠しごとの中で育てたくなかった。打ち明けるのが遅ければ遅いほど、私たちの絆に亀裂が生まれるだろうなと思って」
夫は生前、死んだら骨を海に戻してほしいと言っていたため、娘と二人で海に散骨した。 「彼というより、娘のためにやることなのかもしれない、お父さんを思い出す時、景色がきれいなほうがいいと思った。それで沖縄に遺骨を持ち帰りました。散骨したのは、私が小さい時に行った無人島で、天国だなって思った場所。『これがダディの体だって理解してる? 太陽、風、雲、木……今からあなたを取り巻く全てのものに、彼のエネルギーが戻っていく』。それが私たちのお別れでした」