「安いわけじゃないし、美味しくないメニューも普通にある」「良さは、子供を連れていけるだけ」…。ファミレスが「オワコン化」する裏で進む“大変化”とは?
いずれにしても、中価格帯店はファミレスとしての個性が失われがちになりつつあるのだ。 ■ファミレスの二極化を進めた「一億総中流」の崩壊 こうしたファミレスの二極化はどうして発生するのか。 それは単純で、ファミレスを含めた現代の社会が、資本主義のシステムで動いているからだ。 資本主義下では、基本的には「持てる者」と「持たざる者」の格差は拡大する方向に進む。これは、ベストセラーとなった『21世紀の資本』の中で、トマ・ピケティが明確に指摘した通りである。
となれば、人間に対するサービスを扱っている以上、ファミレスもこうした格差の拡大に対応せざるを得ない。単にこうした社会の変化に伴って起きている変化なのだ。 逆に、これまでのファミレスがファミレスたり得ていたのは、世界的に見ても特殊な「一億総中流」の状況が(わずかとはいえ)日本に存在していたからなのかもしれない。 ファミレスが登場したのは1970年代。1969年にはロイヤルホストがセントラルキッチン(1カ所の工場で料理をまとめて作る方式)をはじめ、1970年にはすかいらーくの1号店が国立に開業。1973年にはサイゼリヤの1号店が、1974年にはデニーズの日本1号店が開業する。
このファミレスを支えたのが「中流家庭」だ。 この時期はまだ日本全体の格差は実態としても少なく、意識としても「中流」意識は根強かった。実際、この時期に自身を「中流」に属すると回答する日本人は増加の一途をたどっていて、名実ともに「中流家庭」が確かに存在したのが、ファミレスの勃興期に重なる。 しかし、その後、1980年代頃より格差は拡大。2000年代になると「下流社会」などといった言葉で、この格差が明確に意識されるようになる。さらにはリーマン・ショックによる不景気などもあって、いよいよ「一億総中流」は崩れ去っていく(橋本健二『階級都市』)。