汗水垂らした苦労を観客は感じ取ってくれる――大沢たかおが語る日本のエンターテインメントへの危機感
4畳半ほどの個人事務所を構えて。電話は鳴らず
大沢は1968年、東京都生まれ。大学在学中にファッションモデルとしてデビュー。メンズファッション誌やパリ・コレクションのランウェーでの活躍を経て、94年から俳優活動をスタートさせた。 「モデルの頃はまだバブル景気だったけど、はじけて世間がしらーっとし始めた。そんな頃に俳優デビューしたせいで、僕は全くイケイケじゃなかった(苦笑)。出演するテレビドラマも、『星の金貨』(1995)とか、リアリティーのあるシリアスな作風が多かった気がします」 「現場の空気も厳しかったし、監督も脚本家も常に『もっと』と求めてきた。脚本家の先生が撮影した映像を見て、『このシーンの意味が違う』と言って撮り直したこともあった。『いいものを作ろう』とみんながヒリヒリしていました」
順調に出演作を重ねていったが、違和感を抱え始める。 「俳優デビューして3、4年目のあたりから『とりあえずこういう段取りで』『来年はこうなります』みたいになっていった。システムの中に取り込まれていくことと、いいものを作りたいという気持ちが乖離して、うまくいかなくなった。それで29歳の頃、いったんテレビドラマから離れて映画に軸足を置きました」 2000年、大沢は個人事務所を構えた。大手事務所からの数多の誘いを断っての独立だった。 「テーブルを一つ置いた4畳半ぐらいの部屋に電話を引いて始めました。でも一日中待っていても電話が全く鳴らない。鳴るわけがないんですよ、誰も番号を知らないんだから(笑)。まだホームページなんてなかった頃だし、『使ってください』という営業もしていなかった」 「僕には今でも、『事務所のマネージャーが取ってきてくれたから』みたいな仕事がないんですよ。この業界には、事務所のパワーというものがある。それがない代わりに、やりたくない仕事をしたことがない。きっと神様が割り振ってくれた分の仕事をやってるんだと思うんですよ、順当に」