メジャーリーグで1年目から活躍したヤクルト・青木宣親。功を奏したのは通訳にお願いしたある事だった
「いくら才能があっても、発揮する場所がなければ意味がない」と語るのは、ヤクルトスワローズのレジェンド・青木宣親だ。渡米した2012年、外野手としては5番手に位置した青木はいかにしてメジャーリーグでレギュラーを勝ち取ったのか。熱烈ヤクルトファンのミュージシャンであり作家の尾崎世界観が、青木宣親に「才能」について問う。本稿は、青木宣親・尾崎世界観『青木世界観』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 青木がプロ野球選手になれるとは 大学時代は誰も思っていなかった 尾崎 若い頃の青木さんは、分かりやすく結果を出し続ける姿そのものが才能の煌きだった。いとも簡単にヒットを量産し、軽やかにグラウンドを駆ける。他の誰も追いつけないようなスピードで、結果を積み上げていった。 メジャーリーグから再び日本球界に戻ってからの青木さんは、ある「感覚」を身につけていた。自分はその「感覚」にも魅了されている。その打席を、その試合を完全に掌握しているような空気感――。 青木 「絶対的な才能」というものは、僕はあると思います。例えばドジャースの大谷翔平選手。あれはどう見たって才能ですよ。もちろんここまでに至る道で鍛錬を重ねて、野球に対して尋常じゃなく打ち込んできたことは事実としてある。 でも、じゃあ普通の人が同じように取り組んだら大谷みたいになるかと言えば、そうはならない。あのレベルまで行けるのは、まず「絶対的な才能」がある。それは間違いないことです。 じゃあ僕自身はどうなのか。実際のところ、ここまで歩んでこられたということについて、僕に才能がなかったかと言われれば多分あったとは思う。でもそれは「絶対的な才能」では決してなかった。だって、昔の自分を知る人は、今のようになるわけはないと思っていたはずですから。 宮崎の高校時代はもちろん、大学時代だってそうです。1年生の頃かな、同級生と「大学を卒業したらどうするの?」という話をしていたんです。「俺、プロになりたい」って言ったら、唖然とした顔をして「俺は普通に就職するけどな」なんて冷静に返されたことを覚えています。 その彼は一般の会社に就職したんですけれど、後に僕がプロ入りしてオフに会った時、「あの時は『嘘だろ、こいつ』って思った。本当にプロになったからなぁ。信じられないよ」って言われました。当時から足は速かったけれど、バッティングがいいかと言われれば全然でした。プロで活躍できる才能があるなんて、誰も思っていなかったでしょうね。 ● お前は足が速いんだから 三遊間にゴロを打て 自分に何か1つ才能があるとすれば、「当て感」があるということかなと思います。どんなボールでもバットに当てようと思ったら当てられる。そういう感覚は、若い時から今に至るまで誰よりも持っているかもしれません。ただそれにしたって、小さい頃からいきなりできていたことではなく、後から身につけたものなんです。きっかけは早大野球部に進んだことでした。