メジャーリーグで1年目から活躍したヤクルト・青木宣親。功を奏したのは通訳にお願いしたある事だった
もちろん、メジャーリーグでは球団ごとにそれぞれ色があるんです。GMがスタメンを全て決めるチームもありますし、確実性やチームプレーということよりも、とにかく個々の能力重視だというチームもある。組織の中でポイントになる人もチームごとにそれぞれいて、例えばあるコーチが伝書鳩的な役割をしていたり、あの人とあの人はツーカーだからちょっと話を聞いてみるといいぞ、ってことも。本当に面白いですよね。 ● 才能は人の目に留まらなければ 存在することにはならない 僕はあの監督だったからハマったんだと思うし、運が良かったとも思う。ただ、この指揮官が何を求めているのか、ということを分かっているのとそうでないのとでは大違いですよね。力を発揮しようがないですから。闇雲に自分のスタイルを貫いて『ここは俺の仕事をする場所がない』とか、『俺の力を誰も分かってくれない』となるのでは意味がない。 僕はメジャーリーグでプレーしたいのだから、まずはそこで結果を残すこと。そのためにはプレーの機会を与えてもらうことが凄く大切だった。思えばそれってシンプルなことです。だからある程度状況を見極めて、自分に何ができるのかを考えることは意外と重要だと思うんですよ。いくら才能があっても、発揮する場所がなければ意味がないし、機会が与えられることで磨かれものがあるわけですからね。 尾崎 才能というと、元々備わっているもの、というイメージがある。例えばミュージシャンだったら、ギターを持っただけで曲ができてしまうという風に。汗も流さず、苦悩することもなく、労せず凄いものを生み出していく人こそ才能なのだ、と。でも青木さんは、当てようと思ってひたすら練習したから、どんな球でも当てられるようになったと振り返っていた。 才能というものが現存して、だからこそ全てが担保されるというわけではなく、結局やらなければそこにあるはずの才能には届かないということ。さらに機会が与えられ、それが人の目に留まらなければ、その才能が存在することにはならない。
青木宣親/尾崎世界観