「子は親のエゴ」「産んだ時点で虐待」 出生数低下の背景? ネットに蔓延する反出生主義とは
「人間は生まれるべきではない」という前提のもと、生殖を非倫理的行為とする思想
出生数の低下が止まらない。厚労省が今月5日に公表した人口動態統計(概数)によると、2024年上半期(1~6月)に生まれた赤ちゃんの数(外国人は含まない)は前年同期比6.3%減の32万9998人で、年間では初めて70万人を割る公算となった。少子化が加速する近年、ネット上では「新たに子を作るべきではない」「人間は生まれてこない方がいい」といった考え方が広がりを見せている。「反出生主義」と呼ばれるこれらの思想はどういったものなのか。当事者や専門家に話を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔) 【写真】ネット上で散見される、反出生主義をうたうアカウント 反出生主義(アンチナタリズム)とは、「人間は生まれるべきではない」という前提のもと、生殖を非倫理的行為とする思想のこと。反出生主義で有名な南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターは、生における苦痛と快楽の非対称性から「生まれる以上必ず苦痛があり、それは快によっては埋め合わされることはないのだから、生まれないほうがいい」と結論づけている。誕生は生まれてくる人にとって常に害であり、人類は生殖をやめて段階的に絶滅するべきだというベネターの主張は「誕生害悪論」とも呼ばれる。反出生主義という言葉を日本で批判的に考察した早稲田大学の森岡正博教授は、ベネターの主張について次のように説明する。 「苦痛は純粋に悪いもの、必要のないもので、他者に同意なく与えていいものではありません。生まれる前の存在から生まれることへの同意を取ることはできず、生まれた以上苦痛は必ず存在する。そしてその苦痛は快によっては埋め合わされない。ならば誕生も出産も悪であるというのがベネターの主張。ここで、生まれてきてよかったこともあるだろうという反論があるかと思いますが、生の快楽があるからといって苦痛があってもいいことにはならない。苦痛はあってはならないものですが、快楽はなくても悪いとはいえない、これが苦痛と快楽の非対称性です」 反出生主義思想はいつ、どのような背景から誕生したのか。森岡教授は、主に人間が生まれてくることに対する「誕生否定」と、新たに人間を生み出すことに対する「出産(生殖)否定」の2種類に分けて解説する。 「“人間は生まれてこない方がいい”という『誕生否定』の思想は紀元前からあり、ある種普遍的なものです。日本で平安時代に流行した末法思想のように、過去には主流思想となった時代もありました。20世紀になって、そこに“新たに生み出すべきではない”という『出産否定』の考えが加わった。背景には先進国で宗教の力が弱まり始めたことや、避妊が一般的になったという事情もあるでしょう。それまで極めて宗教的な意味合いのあった出産という出来事が、人間がコントロールできるものに変わったことで、世俗的に捉えられるようになったのではないでしょうか。 また、自殺の推奨と誤解されることもありますが、反出生主義そのものは公式に自殺を否定しています。もとが苦痛を取り除くための思想なので、自殺により本人や周囲がさらに多くの苦痛を感じることは望まないという考えです。あくまでも生まれてくることを食い止めるという思想で、集団自殺を教唆するものではありません。反出生主義の概念や定義についてはさまざまな見方があり、研究者の間でも統一の見解があるわけではありません」 日本でも近年、SNSを中心に反出生主義を掲げる人が増加している。「反出生主義」で検索をかけると「子を産み育てるのは親のエゴ」「こんな世の中に子ども産んだ時点で虐待」といった当事者の声が多数確認できる。「毒親」「親ガチャ失敗」と自らの親を断罪する内容の投稿も多い。反出生主義をうたう人々は、どういう経緯でその思想に至ったのか。ネット上で反出生主義者を公言している24歳のミユキさん(仮名)は、「今まで地獄のような人生を歩んできて、生まれなければ地獄を味わうこともなかったので反出生主義になりました」と語る。 「幼い頃から親に暴力を振るわれ、実の兄から性暴力に遭ってきました。勉強ができなくて何度も土下座を強要させられ、受験に失敗したときには『お前なんて産むんじゃなかった』と言われた。家では親から虐待され、学校では同級生からのいじめに遭う毎日。今は親と絶縁し、結婚して以前よりはましな生活になりましたが、死にたいという思いは変わらない。夫からは死なないでほしいと言われますが、生きているだけで苦しく、安らかに死ねるなら今すぐにでも死にたい。国には少子化政策などやめて、安楽死を認めてほしいです」