ベストセラー書籍『ユニクロ』が紐解く、地方商店街の紳士服店だったユニクロが強烈に成長し続ける理由
■ 似て非なるものだったユニクロの1号店 杉本:「このタイミングだ」とずばり言い当てるのは難しいですが、柳井さん本人に同じ質問をしたら、お父さんから「事業の通帳と預金に使うハンコを渡された時だった」と言っていました。最初は家業を継ぐことに抵抗はあったけど、「もう逃げられない」と感じたそうです。 柳井さんは厳しいお父さんに対して苦手意識を持っていたそうですが、その時に「失敗するなら俺の目が黒いうちにしろ」と言われたことが忘れられないそうです。いかに自分に期待してくれているのかが伝わった。そして、事業を息子に託した後、お父さんは柳井さんの経営に口出ししませんでした。 その辺りがどうも柳井さんの人生の変節点だったと思います。同時に、柳井さんは大学卒業後、宇部市に戻ってからずっと「このままここで、この仕事をしていたらダメだ」という思いを持っていました。 もともと子供の頃から紳士服店の仕事を懐疑的な目で見ていたそうです。子ども心ながらに「こんな仕事に意味があるのかな」「ここにいていいのか」という気持ちがあったそうです。 なぜユニクロは宇部市から生まれたのか。それは立脚点が恵まれていないから、生き残るためには外にヒントを求めて考え続けなければならなかった。「ここ(宇部の商店街)に答えはない」と考え、ヒントを外に求め続けた。柳井さん自身がそう説明されています。 ──1984年6月に、ユニクロ1号店が開店します。商品の選び方や見せ方に特徴があったという印象を受けました。元祖ユニクロ「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」とはどのようなコンセプトの店だったのでしょうか? 杉本:最初のユニクロは、私たちが今知っているユニクロとは、似て非なるものです。 「カジュアルウェアの倉庫」というコンセプトのもとに、いろんなところから服を買い付けてきて、それを並べるという形態でした。そこに行けば、いろんなブランドのカジュアルな服が何でも揃っていて、安く買うことができる。これが今から40年前のユニクロの始まりです。 1984年6月にオープンした1号店は大ヒットします。柳井さんは「金の鉱脈を掴んだ」と社員たちに語りました。実家の紳士服店を継いでから最初の成功にたどり着くまでに12年が経っています。ところが、なんとここからわずか2年後には、柳井さんは大きな事業の変革を行います。この決断力がユニクロの真骨頂です。