刃物で刺され、つぶれた肺で呼吸もできないなか、助けを求めて叫んだ・・・息子を奪われた家族を襲った『誹謗中傷の二次被害』立ち向かう力はどこからー”それはただただ支援です”
「私は、今から14年前に犯罪被害にあって命を奪われた子供の父親です」
兵庫県の職員らを前に、こう話し始めたのは、2010年10月、殺人事件で息子の堤将太さん(当時16)を亡くした堤敏さん(65)です。 【写真を見る】亡くなった将太さん 当時の事件現場 高校2年だった将太さんは神戸市北区の路上で何者かに首などを何度も刺され、殺害されました。その後、犯人逮捕につながる有力な情報がなく、捜査は難航。そして事件から10年以上たった2021年、事件当時17歳だった男(31)が逮捕されました。事件当時未成年であったことから、少年法に基づき被告は匿名で裁かれ、一審で懲役18年の判決が言い渡されています。 兵庫県では、去年「犯罪被害者の権利保護」に関する条例が定められ、県が中心となって、被害者支援をおこなう仕組みづくりを進めています。その一環として、7月26日、支援を担う職員や関係団体向けに、堤さんの経験から「被害者支援について」考える研修会がおこなわれました。 研修会で堤さんは、当時の状況を語りました。
「肩や胸の傷は神経や筋肉を切断し、その刃先は肺にまで達していました」
将太さんは、事件があった10月4日の夜10時45分ごろ、当時仲が良かった女子生徒と二人で、家の近くで話をしているところでした。突然犯人に、頭や首、肩、背中、胸など複数箇所を刺され、命を奪われたといいます。死因は失血死。首の傷は頸動脈を、肩や胸の傷は神経や筋肉を切断し、その刃先は肺にまで達していました。 刺された瞬間、将太さんは女子生徒にむかって「逃げろー」と叫び、女子生徒をつき飛ばしました。女子生徒はすぐにその場を離れて無事でした。女子生徒が振り返った時には、犯人は将太さんに馬乗りになって刃物を振り上げていたといいます。 (堤敏さん)「凶器は刃渡り7.9㎝の折り畳み式のナイフです。ですが、その傷の深さは10センチを超えるものもありました。何のためらいもなく、力いっぱい刺したことからも、この犯人の残虐性と強い殺意が感じ取れます。」
交差点付近に蛇行した血の跡…「助けを求めて歩いたんだな」
将太さんはその後、西方向に約70メートル歩いて、交差点の横断歩道の上に倒れました。歩道に残る将太さんの血の跡は、歩道から車道に大きくはみ出し、また歩道、そして車道と、蛇行していたそうです。その道沿いに住む人は、「助けて、助けて」と苦しそうに唸るような、低く、野太い声を聞いたと証言しているといいます。 (堤敏さん)「つぶれた肺で呼吸もできない苦しいなか、精一杯助けを求めて叫んでふらつきながら歩いたんだなと。そういう光景が何百回、何千回と思い浮かびました。事件やその犯行、息子が受けた傷…それを思うと今でも息がつまる思い」