「省庁再編」は成功してきたのか? 自民総裁選の争点、過去に学ぶ
省庁再編のこれまで
省庁の再編は、何もいま始まった話ではない。 時代の変化に合うよう、戦後始まった体制も何度か改編している。高度成長期は省庁に関連した公団、事業団など外郭団体をたくさんつくった。それがマイナス成長期に入ると縮小廃止されたりしてきた。 そうした中、戦後で一番大ぶりな省庁再編は2001年、1府12省8大臣庁体制を1府12省庁に再編統合したとき。橋本龍太郎政権(1996~98年)が道筋をつけたことから、「橋本改革」とも呼ばれる。ここでいう大臣庁とは、大臣を長とする庁を指す。再編前に総理府にあった環境庁や科学技術庁、国土庁、沖縄開発庁など8つの庁の長官は大臣であり、内閣の構成員だった。この大臣庁の多くは2001年の省庁再編で姿を消した。
当時、残った大臣庁は防衛庁だけだったが、それも2007年防衛省に昇格したため、しばらく大臣庁がなくなった時期がある。最近、復興庁やデジタル庁がつくられ復活の兆しがあるが、ともかく2001年改革の目玉は大臣庁の整理を軸にいくつかの省を統合したことである。
2001年の省庁再編とは?
その2001年の中央省庁の再編。この時は総理府に代わり内閣府を新設し、政策調整制度を導入。縦割り行政による弊害を排除することを狙った。新設された内閣府は、複数の省庁が関係する問題を上の立場から総合的に調整する役割を担うとされた。 それまで22あった省庁について、任務が補完的だったり重複したりする11の省庁を4省に統合。郵政省・自治省・総務庁は「総務省」に、文部省・科学技術庁は「文部科学省」へと変更。厚生省・労働省は「厚生労働省」に、運輸省・建設省・北海道開発庁・国土庁は「国土交通省」に統合された。 総理府の3庁である金融再生委員会・経済企画庁・沖縄開発庁は内閣府に吸収され、環境庁は環境省に昇格。大蔵省は財務省、通商産業省は経済産業省と名称変更されいまの「1府12省庁」に再編された。これが「橋本行革」といわれるものだ。