ヘビー級プロテスト合格の異端児・但馬ミツロがデビュー前から日本王者と元3冠王者を挑発豪語。「話になんない」「連チャンで2人をぶっ飛ばす」
但馬は1994年11月、日本人の父とブラジル人の母、マリアさん(54)の間に愛知県・碧南市で生まれた。名古屋の享栄高時代にボクシングを始め、中央大に進み階級をライトヘビー級にしてから開花。2014年、2015年と全日本選手権を連覇、国体でも3度優勝、東京五輪のホープと期待された。だが、肩のケガによるブランクを経て約2年半ぶりの復帰戦となった2018年の福井国体の優勝を最後にアマチュアリングから遠ざかった。20キロに及ぶ減量や、拳や肩の度重なるケガに加え、ブラジル国籍の但馬は、日本国籍取得が間に合わなかったことなどもあって五輪を断念、プロ転向を決断した。 「アマのトップでやらせていただいて五輪を狙う考えはあった。でも五輪のイメージは、あくまでもキャリアの途中のものであり、プロでの世界チャンピオンがゴールだった。タイミングやいろんなことが重なり、プロに転向するなら今かなと。(世界王者になる)ルートは変わったが元々の夢を追いかけることに変わりはない」 アマ戦績42勝(20KO)9敗の重量級の逸材を巡って水面下で争奪戦となり、緑ジムの倍額のオファーを出すジムもあったそうだが、「松尾会長の人柄と、地元であることが第一。日本語も上手ではない母の近くにいたいので」と、名古屋の名門、緑ジムと契約を結んだ。 実は、緑ジムは日本におけるヘビー級のパイオニア的な存在だ。かつて、ウガンダ出身のオケロ・ピーター(47)というヘビー級ボクサーを迎えいれて、OPBF東洋太平洋ヘビー級王者に育て、2006年12月にはロシア・モスクワでWBC世界ヘビー級王者、オレグ・マスカエフ(カザフスタン)への挑戦を実現している。日本のジム所属選手として初のヘビー級での世界挑戦だったが、判定で敗れた。 2013年7月に56年ぶり復活の日本ヘビー級王座を藤本京太郎と争ったのも、ベテランとなっていたオケロ・ピーターだった。 松尾敏郎会長の「日本からヘビー級を育てて世界へ」のロマンは終わっていない。 「この階級で、これだけのスピード、パンチ力、センスを兼ね備えた選手はなかなかいない。しかも、ほとんど一人で練習していて、本格的なスパーリングやトレーニングをしていないので、ここからの伸び幅に大きな期待がある。この凄い才能に賭けたいと思った。いきなり京太郎でも勝てると思う。まずは、日本を制してから世界で勝負させたい」 現在、そのピーターが来日しており、国内では、専属トレーナーとして但馬につける英才教育を考えている。