船の絶滅危惧種「ホーバークラフト」。大分で16年ぶりに復活する理由とは?現在、定期運航されているのは世界で1カ所のみの“爆音”珍乗り物!
また、フェリーを圧倒する高速航行で、「未来の船」として世界中で期待がかけられていたはずのホーバークラフトは、なぜ急速に衰退してしまったのか。まずは、旅客船としてのホーバークラフトの歴史から振り返ってみよう。 ■最初の就航地は「ドーバー海峡」 ホーバークラフトが旅客船として初めて就航したのは、1966年(英仏国境・ドーバー海峡)のこと。デンマーク・コペンハーゲン~スウェーデン・マルメ(エーレ海峡)などの国際航路を担うだけでなく、約260島からなる香港のエリア内移動の航路としても定着した。
日本でも、本州・四国を結ぶ「宇高航路」(岡山県・宇野港~香川県・高松港)、「日本ホーバーライン」(大阪南港~徳島港)、ほか石垣島~竹富島、能登半島などで就航。なかには伊勢湾のように、大手私鉄(名鉄・近鉄)系列の2社が、ホーバークラフト同士で熾烈な競争を繰り広げていた地域まである。 就航地の多くは、海を挟んだ中心都市(日本なら宇野~高松)間でフェリー・旅客船が頻繁に運航するような需要が、もともとあったような場所だ。ホーバークラフトは、これらの航路の「急行便」「快速便」として投入され、各地ともフェリー・旅客船の半分以下の所要時間で移動できるかわりに、強気な価格設定で収益を稼いでいた。
例えば、1988年に廃止された宇高航路(宇野港~高松港)は通常便が1時間、ホーバークラフト「とびうお」はたったの23分。ただし「とびうお」に乗船するには、500円の通常料金+1100円の「宇高ホーバー券」を別途で支払うという、3倍以上の料金を徴取していた(1987年3月 時刻表より)。しかし、途中で通常便を追い抜いて1本早い接続列車に乗れたこともあり、利用者はそれなりに多かったという。 ■「未来の旅客船」の多すぎた弱点
1970年代には子供向けの科学雑誌で、ホーバークラフトが「夢の超・高速船」「未来の船」として頻繁に登場し、誰もがこの先の普及を疑わなかった。しかし実際には、鳴り物入りで導入されたにもかかわらず、世界中の就航地から姿を消していく。理由はさまざまだ。 まず、ホーバークラフトは海面から浮いて進むため、海水の支え(浮力)があるフェリーと比べて重力がかかり、船体を大きくできない(物理でいう「2乗3乗の法則」に基づく)。