渡辺一平「雪辱を果たしたい。このオリンピックにすべてを懸ける」
東京オリンピックの出場を逃し、悔しさと大きな挫折を味わった。その経験を糧に彼は再び立ち上がった。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.879〈2024年5月9日発売〉より全文掲載) [画像]渡辺一平選手
うまく泳げなくても6秒台。自分のなかでも変わったと確信できた
今年3月に行われたパリ・オリンピック代表を決める代表選考会。ここで参加標準記録を切り、男子200m平泳ぎの代表に決まったのが渡辺一平だ。リオデジャネイロ・オリンピックから2大会ぶりに出場切符を手中に収めたことになる。選考会前の彼の心境はいかなるものだったか。渡辺は苦笑しつつ、丁寧に言葉を選んで答えた。 「東京オリンピックのときには、代表になれずに、とても悔しかったし、大きな挫折を味わいました。だから、オリンピックの選考会には、いいイメージが持てていなかった。去年の世界水泳の選考会なんかは、これまで何度も代表になっているから、悪いイメージはなかったんですけど」 理知的で冷静な言葉で話す。リオではオリンピック記録を出し、その後世界記録も樹立した。日本の競泳界を牽引する彼が、東京オリンピックの代表選考会では3位に沈んだ。2位までが代表。この大会では、佐藤翔馬が2分6秒40の日本記録で優勝、武良竜也が2位に入った。 2人は渡辺を脅かす存在として注目されていたのは確かだった。だが、まさか渡辺がと思った人は多かったろう。積み重ねた実績と実力があった。だから、彼がオリンピックの選考会にいい印象を持てないというのは至極理解できる。ただ、彼の中にはそのイメージとは裏腹に、自分に期することがひとつだけあった。
水泳は気持ちよくて楽しい。そのココロを忘れていた
東京の代表選考会以降しばらく、渡辺は悩んでいた。この先、どうしていくべきか。自分の進むべき道がなかなか明確にはなってこなかった。 「もうやめたほうがいいという感情がなかったといったら、それは噓だと思います。泳ぐこと、試合に出ることが、ただの仕事になっていた。そこから、ようやく高城(直基)先生にコーチをお願いすることができた。今から1年半ぐらい前です」 渡辺は高校時代にも高城コーチに教えてもらっていて、タイムが伸びるなど、非常にいい印象を持っていた。ただ、コーチと会ったときの言葉が彼のココロに見事に刺さった。 「高城先生は“オレが大切にしているのは、毎日の練習で選手が笑顔でプールに来ることなんだ”って言うんです。そういえば、こんな感情を僕はここ数年持っていなかった。子供の頃のように水泳は気持ちよくて楽しい、そういうココロを持って泳ぐべきだと、改めて思ったんです」 高城コーチと練習を始めた。パートナーになったのが深沢大和だ。大学時代からコーチに師事していた彼は卒業後、大手私鉄に就職したものの、オリンピックに出場するならという約束で、会社から競技に専念することを許されていた。そして、この存在によって渡辺は、さらなる高みへと上ることができたのである。 「最初は本当にパートナーで、自分が全力で泳げば負けることはない。ちょっと力を溜めていると、いい勝負ぐらいだった。でも、去年の11月ぐらいから、全力でがんばっても勝てるか、というぐらいになってきたんです。練習中の気持ちよさでいったら以前のほうがいい。勝ちたいときに勝てますからね。それが勝てるかどうかが、わからなくなった」 実際、深沢は今年2月のコナミオープンで100m、200mの2冠に輝いている。200mは2分7秒07。これは同じ時期にカタールのドーハで行われていた、世界選手権の優勝タイムを大きく上回っていた。