「ライターで炙られ…」義父からの「壮絶な虐待」と母の知り合いからの「性的虐待」…私生児で被虐待児の31歳ハーフ男性が生きるための編み出した「処世術」
「一般社団法人コンパスナビ」――児童養護施設などを巣立った若者や家庭に居場所がなく困難を抱えている若者への就労支援・住居支援・生活支援を行う当事者支援団体だ。代表理事を務めるブローハン聡さん(31歳)は、自身もまた児童養護施設を出ている。11歳のとき、義父からの虐待が発覚して施設に保護された。現在、虐待被害者の立場からの講演依頼も多いブローハンさん。著書『虐待の子だった僕――実父義父と母の消えない記憶』(さくら舎)においても、凄絶な体験が語られている。 【漫画】「一緒にお風呂入ろ」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性 一方で、その名前からもわかる通り、ブローハンさんはいわゆる”ハーフ””ミックス”と呼ばれる混血。母親がフィリピン人、父親が日本人だ。私生児として生まれ、14歳で母親に先立たれ、義父からは養子縁組を拒まれるなど、複雑な事情を抱えた彼には、中学生になるまで国籍がなかった。自分が何者かを証明する手段がなく、宙ぶらりを生きた日々。青春期に感じた日本社会における「異物」の取り扱いについて、思うところを話してもらった。
無意識に考えていたこと
にこやかに微笑み、視線を合わせて誠実に答えてくれる態度に好感が持てる。もともと広告モデルなど芸能の仕事をしていたブローハンさんは、初対面でも親しみを感じる柔和な雰囲気を纏っている。ギターやピアノなどにも長け、音楽の才覚もある彼がクラスの人気者だったという話を疑う余地はない。一昔前なら「リア充」、今ならさしづめ「陽キャ」と言ったところか。被虐待児、私生児という暗さが滲まない理由について、本人はこう考察する。 「日本人男性と交際していた母は、私生児として私を生みました。そのとき認知はしてもらえず、日本人男性と結婚。義父は母の見ていないところで私を殴る、ライターで炙る、などの虐待をしていました。当時の私は、義父が母を愛していたことから、虐待の事実が母にバレて家庭の平穏が壊れることを恐れていました。同様に、学校の先生などの他の大人に『バレたことがバレる』のも怖かったんです。 私は私生児で混血児で被虐待児。一般的にみればかなりのマイノリティですし、今思えば排除の対象になってもおかしくなかったかもしれません。しかし幸運なことに、私は小学校でも中学校でも友人に恵まれました。それはおそらく、大人の顔色を伺って生きた日々が関係するのかもしれません。 虐待が母にバレたあと、11歳で児童養護施設に保護されるまでの間、母の親戚や友人の自宅を転々と渡り歩いたんです。そのときも、どうやって自分の居場所を作るか、無意識に考えていたように思います」