イーロン・マスクが「トランプ応援」に執着するワケ…「当選の見返り」のとんでもない内容
エコノミストの上位互換に?
ここまで見てきたように、今年の場合、大統領選をきっかけにして、シリコンバレーの、テック界隈の将来ビジョンにズレや亀裂が生じた。最も目立ったのがイーロン・マスクだが、クリプト・ブロの動きも目についた。 シリコンバレーの右派は、規制によって会社内部のコンプライアンスを細かく求めてくる、進歩的なバイデノミクスに反抗して、それ以前の好き放題にできた新自由主義経済の維持を求めた。よくも悪くも「指図されない」「拘束されない」「報告を求められない」ようなピュアな「自由」を理想視する、ある種、単純で原理主義的な、いかにもテッキーな自由主義者たち。 ただし、そうした朴訥さのイメージを盾にして、わざとあえて原理原則に固執し、妥協の余地がないことを強調するところもある。マスクが、仰々しくも憲法修正第1条(表現の自由)と修正第2条(武器を所有する自由)を引き合いにするのがその典型だ。 多分、学生の頃から政治哲学や法哲学、文学に触れ、自らもそうした論文を執筆し公表してきたピーター・ティールならそんな単純な議論はしないだろう。ティールにはある、保守主義者特有の「憂鬱さ」がマスクには微塵も感じられない。このあたりの2人の違いは頭の片隅に置いておくのがよい。テック界隈のトランプ支持は、あくまでも反民主党から発している。ある意味、二大政党制が強いた選択だ。 だから、民主党の側にも変化の動きはある。政府主導のインフラ整備などの「巨大公共事業」の性格の強いバイデノミクスに対して、大統領候補としてバイデンを引き継いだカマラ・ハリスは「オポチュニティ・エコノミー」を唱え、アントレプレナーシップの礼賛へと、経済政策の基調を変えてきた。サンフランシスコが地盤のカマラ・ハリスらしい旋回といえる。もちろん、アントレプレナーシップには、シリコンバレー的なテック界隈のスタートアップも含まれる。小さく始めながら早期にスケールして巨大化する、という大成功の幻想を引き続き残そうとする。「希望」という空手形は、選挙戦に常に必要なアイテムのひとつだから。 シリコンバレーは、今年の大統領選を通じて、政治的影響力、政治的攻撃力を持つセクターに様変わりした。ウォール街同様、保守とリベラルが常に代理戦争を展開する場と化した。テクノロジーの政治化。文化戦争も、テクノロジーとタッグを組むことで、従来のアイデンティティ・ポリティクスから離れ、徐々にシステムの実装戦争へと変貌し、とたんにきな臭くなってきた。 テクノロジーを誰が握るかによって社会のあり方は容易に変わり、富の行き着く先も変化する。そのダイナミクスにアメリカ政治も飲み込まれつつある。マスクはその先鋒として名乗り出たにすぎない。テクノロジーが政治の舵取りに影響を与える流れは今回だけで終わるとは思われない。90年代に富が流れ込んだウォール街が政治を左右するようになったのと同じことが、情報社会化の拠点であるシリコンバレーで起こりつつある。クリプト・ブロがウォール街をも飲み込もうとするのなら、シリコンバレーはウォール街の上位互換として、アメリカの統治機構の手綱を握ることになる。統治システムの祭祀についても、エコノミストの上位互換としてテクノロジストが台頭するのもそう遠くないことなのかもしれない。イーロン・マスクは、その点でも、次代を切り開いたジョーカーとして記憶されることになるのだろうか?
池田 純一(コンサルタント・Design Thinker)