日本の紙の歴史 “軟水” によって独自の文化を育んできた 「日本の紙」
“地域” ごとに歴史を紡いできた 「日本の紙」
秋風が気持ち良く感じられる時期も過ぎ、今年もだいぶ肌寒い季節となりました。少し振り返れば、今年の夏も連日、唸るような暑さが続きました。私がまだ小さかった頃は、ここまで日本全国どこも暑かった…というような記憶はありませんでしたが、温暖化の影響なのか年々、日本全国どこも暑い…さらに言うと、夏が長い…といった気候になっているように感じます。日本には伝統的に 「四季」 があり、「季節感」 というのを感じていたはずですが…。 さて、今回は日本の紙の歴史の3回目。前回は平安時代をクローズアップして書かせて頂きましたが、今回は鎌倉時代から明治時代まで一気に取り上げさせて頂こうと思います。 と言いますのも、平安時代以降、「紙」 は地域ごとにその歴史を紡ぐようになっていきます。 その大きな原因となったのは 「地方豪族」 の台頭でした。昔、日本はこの小さな島国であったにも関わらず、数多くの「国」に分かれていたそうです。その証拠に私が子供の頃、祖父などは会社の方がお盆やお正月に故郷に帰る際に 「国にはいつ帰るの」 と聞いていたのを思い出します。また、「方言」 などが非常に多いことも、昔、この小さな島国が非常に多くの国に分かれていた証拠と言われています。 第2回のコラムでも記載しましたが、当時、紙は人に情報を伝えるための唯一の通信手段でした。現在で言えば、スマートフォンのような存在であったと言い換えることができると思います。各国にとっても、この通信手段の確保は国を運営していく上で大切な意味を持っていましたので、各国はそれぞれに 「自国の紙」 を作っていきました。そして、それが安土桃山時代に入り、織田信長によって 「楽市楽座」 が推奨されると、お互いの国同士で取引されるようになり、「自国の紙」 の発展を進め、より良い、より競争力のある紙が次々に生まれていきました。現在の携帯会社がそれぞれに携帯の機種を作って売上を競っているのと同じような感じです。当然ながら、競争が起これば、それだけ 「モノ」 としては洗練されていくもの。「日本の和紙」 が世界に誇る産業として現代まで続くものとなっていったのは、この、次々と紙ができていき、産業を成熟させる時期があったから…と言えると思います。 では、この時期、どのような紙がこの世に存在したのか? 今回は2つの紙について絞って記載させて頂きます。 ちなみに、今回のコラムのキーワードは 「軟水」 になります。その点にも注目しながら、この後を読んで頂ければ幸いです。