極端な思考、ミスへの恐怖...若者が抱える“職場の困難”のリアル
必要なのは「主体性を取り戻す」こと
何が、若者たちの国語力を殺したのか。それを考えるには、若い人たちの学生時代に目を向ける必要があるという。 キャリアブリッジのスタッフに三平真理氏がいる。彼女は臨床心理士という立場で、スクールカウンセラーや、定時制高校での居場所スタッフを務めてきた。 三平氏は現在の子どもを取り巻く問題を次のように語る。 「学校の教育現場を見ていて感じるのは、主体性を育てるための教育に、手がまわらないほど忙しい、ということです。国はアクティブラーニングなどによって主体的な学びを推奨しているのですが、現場レベルでは先生方は目先の仕事に追われていて、それどころではない状況に見えます。主体性を育てるためのゆとりや環境が学校に存在しないんです」 混迷化する社会の中で必要とされているのは、答えの出ない問いに対して向き合い、自分なりの目標を設定し、道なき道を切り開いていく能力だ。だが、主要科目では相変わらず決まった正解を導き出す教育がなされているだけでなく、その他の教科においても同様のことが見られるという。 たとえば、美術の授業で主体性や創造性を伸ばそうとすれば、教師が子どもたちの独創性を認め、伸ばしていくことが重要だ。しかし画用紙に少しでも余白があれば、「ここにまで白い部分があるので、何でもいいから描いて埋めなさい」と注意する教師もいるという。 それはなぜか。私は理由を聞いて驚いた。教室の壁に子どもたちの絵を展示した時、1人だけ余白が多いと、管理職や親から「なんでこの子だけ余白が多いのか」と注意されることを教師が恐れているからではないかという。これでは主体性を育む教育など望むべくもない。 さらに近年は、親や教師がこぞって子どもたちを管理下に置き、自分たちが敷いたレールを歩かせようとする傾向が強まっている。 保育園や幼稚園の頃から習い事でスケジュールを埋め、遊ぶ友達、観る映画、通う塾、部活動など何でも親が決めていく。そしてもしわが子が少しでも失敗しそうになれば、慌てて介入して代わりに事態を収める。 これでは子どもたちは大人の顔色を見ながら、求められた成果を出すだけに長けるようになる。自分で物事を決め、自分の足で進み、自分の言葉で状況を打開するといった力は養われない。そうなれば、学業を終えて社会に出たところで、本当の意味で独り立ちするのが難しくなるのは当然だ。三平氏は言う。 「若い子を見てて感じるのは、0か100かの極端な思考に陥っていて、些細なことで立ち直れなくなることです。たとえば、ちょっとしたミスをしたとか、ちょっと注意されただけで、『自分はダメな人間なんだ』とショックを受けて、学校や会社に来られなくなってしまうことがあります。 こうなる子は、失敗を経験させてもらえなかったり、大人の評価だけを気にして生きてきたりしてきた子に多いタイプです。たくさんの失敗を経験していれば、失敗にもいろんなレベルがあることがわかるし、それを乗り越える方法も考えられます。 けど、それを学ばせてもらえず、親の期待に応えられれば成功で、答えられなければ失敗という二極化した価値観で育てば、1度の失敗に立ち直れないほどのショックを受けても仕方がないでしょう」