極端な思考、ミスへの恐怖...若者が抱える“職場の困難”のリアル
SNSやネットによって被害妄想が膨らんでいく
私の目から見ると、サポステに来るこうした一部の若者たちは、「国語力」(編集部注)がないままに大人になってしまったのではないかと感じる。 国語力のある人は、自分の身に起きたことが何だったのかを客観的に考察し、その事象に対して何をすべきかを事細かに考えられる。だから人に理解してもらえるし、自らの力で生きやすい状況を作ることができる。 しかし、国語力のない人は言語によって自己分析できないので、つまずくと「ブラック」「パワハラ」「いじめ」といった聞きかじった用語を持ち出してネット検索をかける。 すると、画面には関連した記事だけがずらっと並ぶため、「会社はブラックなものなんだ」「上司はパワハラをするものなんだ」と偏った理解になり、自分の非を棚に上げて「日本の会社がブラックだから僕は追いつめられたんだ」とか「私は上司のパワハラの犠牲者なんだ」と結論付けるのだ。 また、こういう人たちはSNSによって安易に自らを正当化しがちだ。彼らはネットで得た知識だけでは不安なので、SNSという同質性の高いツールで自分を理解してくれる人を募ろうとする。 SNSで「上司にパワハラされた」「職場いじめに遭っている」と発信すれば、フォロワーから〈いいね〉のマークと共に、同情の声や一緒に憤慨する声が寄せられる。 フォロワーも現状を検証しないまま、タイムラインに流れてきた情報に反射的に便乗しているだけだ。それなのに、発信者は自己否定されない安心感を覚え、自分は正しかったのだと信じ、被害妄想を膨らましていく。 このような行動パターンは、国語力のない人によく見られるものだ。職場でも地域コミュニティーの中でも、彼らはネット上の偏った言葉を真に受け、それ以外のことをすべて嘘や陰謀だと切り捨てる。これでは周りの人たちがいくら対話の意思を持っていても、成り立つわけがない。 ただし、それは決して彼ら個人のせいではない。白砂氏は、現代の若者のコミュニケーションについて、次のように言う。 「コミュニケーションが苦手な若者が増加していることは事実です。社会の変化に対して、若者のコミュニケーションや人間関係力を育てる環境が全く追いついていない......ただ、そうなった背景には、若い人たちの子どもの時代の経験、学校で受けてきた教育、時代の変化などいろんなことがあります。それらによってコミュニケーションが上手にできなくなっているのです」 彼ら自身の落ち度を責めるのではなく、その背景や環境要因を考え、改善することができれば、こうした若者と職場のミスマッチを防ぐことができる。サポステは、そうした若者のコミュニケーションを本質的に解決する取り組みの一部なのだ。