陸上女子トラック「最古の日本記録」はなぜ16年も破られない?…400mで“歴代10傑独占”「ロングスプリント界の至宝」千葉麻美とは何者だったのか
名伯楽が千葉に授けた「400mの走り方」は…
そんな千葉に助け舟を送ったのが、後に師となる福島大学の故・川本和久監督だった。 高校最後の国体に出場した際に、福島県のスタッフだった川本監督に「どうしても53秒台で走りたいんです」と話すと、こんなアドバイスを送ってくれた。 「400mはガンといって、スーッといって、ピューって帰ってくればいいんだよ」 擬音語だらけのアドバイスに、初めは「何を言っているんだろう」とハテナマークが浮かんだ。だが、不思議なことに、その一言で400mのレースの組み立て方がイメージできたという。 「それまでレースパターンをあんまり考えたことがなくて、『前半をちょっと抑えて入って、余力を残した分、後半に頑張る』というレースをしていました。 それまで『最初から“ガン”っていく』という発想はありませんでしたが、川本先生にそう言われて、『じゃあそれで1回走ってみよう』と思って試してみたんです。そうしたら初めて53秒台で走ることができました。『この先生、すごいな』と思いましたね」 高校記録には0秒14届かなかったものの、千葉は高校歴代2位となる53秒59の好記録で国体を制した。 高校卒業後は、迷わず川本のいる地元の福島大に進学した。 「高校1年生の時からずっと福島大に入ることしか考えていませんでした。進路を聞かれるたびに“福島大に行きたい”と言い続けてきたからなのか、インターハイで優勝しても、他の大学からは全く声をかけてもらえませんでした(笑)」
高校卒業後、飛び込んだのは「最強軍団」の強豪大
当時、福島大は女子4×100mリレーで無敵の強さを誇り、4×400mリレーでも学生界でトップ級の実力を見せていた。日本インカレでの総合優勝にはなかなか届かずにいたものの、地方の国立大学にもかかわらず、全国的な強豪校として知られていた。 福島大のOGには、後に走幅跳の日本記録保持者(※以下、いずれも当時)となる池田久美子(現姓・井村)、100m、200mの日本記録を打ち立てた雉子波秀子(現姓・二瓶)、400mハードルの日本記録保持者の吉田真希子がいた。また、千葉の在学時の先輩には、後に共に世界で戦う木田真有(現姓・佐藤)、久保倉里美といった選手たちが在籍していた。 「陸上雑誌のカラーページに載っている先輩方ばかりでしたし、憧れの先輩たちと一緒に練習できることがすごくうれしかったです。(大学は)東京に出るつもりはなくて、もともと地元にいたいなという思いがずっとあったので、たまたま福島に強い大学があったのはラッキーだったと思います」 そんな憧れの環境に身を置いた千葉は、大学の練習に初っ端から衝撃を受けたという。 「大学に入って最初の練習が“技術走”というものでした。ミニハードルなどを使ってフォームを意識する練習で、それだけを2時間ぐらいやるんです。それが本当に衝撃的でした。高校までは腕振りを少し気をつけるぐらいで、走り方を考えたことはあまりなかったですし、ひたすら量を走る練習しかしてこなかったので……」 技術走は、春先は1週間に1~2日は行った。シーズンインしてからも、2週間に1回ぐらいは組まれていたという。 もともと天賦の才が備わっていたとはいえ、ガムシャラな練習だけでなく、こうして基礎から走りを作り直すことによって、千葉はさらなる進化を遂げることになる。
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