朝ドラ『虎に翼』寅子らはなぜ「少年法改正」で争っているのか? 少年の凶悪犯罪と法務省との対立
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、第25週「女の知恵は後へまわる?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)らは少年法の厳罰化に反対し、審議会では議論が混迷を極めている。少年法を改正するべきか否か、その背景には当時メディアがセンセーショナルに取り上げた凶悪犯罪や法務省の思惑があった。 ■寅子らはなぜ怒り、誰と戦っているのか? まずは、そもそも少年法とは当時どういうものであったかということを簡潔にまとめておきたい。旧少年法は大正11年(1922)に制定された。「少年」の定義は18歳未満で、死刑適用限界年齢は16歳以上と定められていた。 現行の少年法は、昭和23年(1947)に、GHQ指導のもとで制定されたものである。モデルとなったのは、アメリカ・イリノイ州シカゴの少年犯罪法だ。ただし、当時は終戦後の混乱期であり、ドラマでも描かれたように深刻な食糧不足のなかにあった。生きるために窃盗などの罪を犯す少年少女らが激増していたのである。そのため、少年法は「犯罪者に刑罰を科す」のではなく「非行にはしる少年少女を保護し、再教育によって更生させる」ことが目的だった。そもそも最初の立ち位置が他の刑法や民法とは異なるである。 この段階で家庭裁判所が発足したことにより、警察・検察は少年事件について家庭裁判所に送致することになった。刑事処分の対象は16歳以上で、家庭裁判所は少年らを不処分にするか、刑事処分に相当するかを審判し、後者の場合は検察に引き渡した。 ところが、終戦後の混乱期を徐々に脱していくにつれて状況が変化したことや、凶悪な少年犯罪が発生していることを理由に、「秩序維持のためにはもっと検察の力を強めたほうがいいのでは」という考えも生まれるようになったのである。 法務省は昭和41年(1966)に「少年法改正に関する構想」を出し、少年法改正を強く求めるようになっていった。家庭裁判所をはじめとする少年法改正反対派はその強硬なやり方に反発し、長きにわたる議論が繰り広げられていく。 昭和45年(1970)、法制審議会少年法部会が設置され、寅子のモデルである三淵嘉子さんも委員に選出された。法務省は「少年法改正要綱」をまとめて、法制審議会にその内容を諮問した。 法務省側の意見としては、“少年”のなかでも年長の18~19歳を“青年”と定め、青年による犯罪は原則刑事手続きとすること、青年を起訴するかどうか、また18歳未満の少年を家庭裁判所に送致するかどうかは検察官が判断することなどが盛り込まれていた。さらに、家庭裁判所が青年の刑事事件をも扱うことになっていた。 多岐川幸四郎(演:滝藤賢一)のモデルである宇田川潤四郎は病魔と闘いながらこれに強く反対し、「恐るべき破壊案、現場の実務を知らない人間の観念的机上論」と述べたという。そして、東京家庭裁判所は彼の名において最高裁長官・石田和外に対して「決議文」を提出した。 「我々東京家庭裁判所の裁判官一同は、日々少年審判の実務を担当している経験と良心に基づき、本要綱が企図する少年法の根本的改正には、別紙の理由によりとうてい賛成することができない」と強く明言した決議文は、B5/12ページにわたる冊子になった。 しかし、少年法改正議論においては家庭裁判所側にやや不利な事件が重なっていた。昭和40年(1965)7月、神奈川県で18歳の少年が警察官をライフル銃で殺害し、拳銃や警察手帳を奪って逃走するという衝撃的な事件が発生。さらに少年は東京・渋谷まで逃げ、渋谷の街でライフル銃を乱射し、取り囲む警察と銃撃戦となるという一大事件になったのである。テレビなどのメディアはこの一部始終をセンセーショナルに取り上げた。 さらに、昭和43年(1968)10月から11月にかけて、19歳の少年が在日米海軍・横須賀海軍施設から盗んだ拳銃で警備員とタクシー運転手の4人を射殺するという、所謂「永山事件」が発生した。この事件の裁判では、事件当時“少年”だった被告に死刑を適用するか否かが争点となり、死刑存廃問題にまで影響を与えた。当然、メディアは少年法改正についても盛んに取り上げ、世論は「少年法を改正して厳罰化すべきでは」という意見に傾いた。ドラマで法務省側が「少年法改正を世の中は望んでいるんだ」と主張したのには、こういう背景があったのだ。 反対派としては、高校卒業の前後にあたるような18~19歳の少年はまだ心身の発達の途上にあり、多感な時期であること、社会性はこれから身に着けていく段階であることを踏まえて、そんな少年が健全な人間として社会に復帰していく道を狭めるのはどうかという思いがあった。 相反するイデオロギーを持つ組織による議論は混迷を極め、約7年の時を経た昭和52年(1977)にようやく法律案が審議会を通過する。しかし、この案が国会に提出されることはなく、法改正には至らないという結末を迎えたのだった。 <参考> ■清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社) ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部