親は悩む…子どもに「不審者の危険性」に伝える前に、見落としてしまいがちな「もっとも大切なこと」
親になって子どもと向きあうということ
数日後に、わたしは勤務先の芸術大学でゼミの授業をしていた。 大学では小説家として、小説の創作の授業をおもに担当している。ゼミではその一環としてグループディスカッションを取り入れている。 4、5人ずつのグループに分かれて、ひとつのテーマを巡って話しあう、グループディスカッションの目的は、まずコミュニケーション能力を高めること。それから、自分とは違う、ときにはかけ離れた状況にある人について想像すること。想像力をたくさん働かせることは、創作にも活きてくるから。 そのためテーマには、「夫婦別姓」「共同親権」など、学生たちにはまだ縁遠く思えるかもしれないが、いずれは当事者として考える機会がくる可能性のあるものを選んでいる。 その回のテーマに、わたしは子ツバメ問題を選ぶことにした。上述の顛末を学生たちに話してから、「お兄ちゃんお姉ちゃんならどうする?」と、きょうだいなり、親戚の子どもなりに聞かれたらどう答える? ということをテーマにした。 3つのグループに分かれた学生たちは、戸惑ったような顔をしてディスカッションをはじめた。15分ほど経ってから、それぞれのグループでどんな話をしたのか発表してもらった。さまざまな意見がでて、わたしが子どもに話さなかったこともたくさんあり、とても興味深かった。 たとえば、道端で死んでいる動物は触ってはいけないと伝える、という意見。たしかに、感染症に罹る危険性を考えると、とても大事なことだ。また、埋葬方法として役所に連絡するなど、実際的な手続きについてのものもあった。どちらも、わが子を目の前にしているときの、わたしの頭には浮かばなかった考えだ。 衝撃のあまりに混乱してしまった様子で、「パパならどうする?」とまっすぐな目をこちらに向けてくる、長女の気持ちを鎮めるために、親としてかけられる言葉はたったひとつしかない気がした。 取り替えのきかない、他の状況では使えない、ことによると倫理的にも論理的にも間違っているかもしれない言葉。それを探してわたしはもがいていた。わたしと子どもたちのあいだにあたる年齢の、20歳前後の学生たちに問いを投げかけたのはそのためだった。 親になって子どもと向きあうってことは、ときにはこんなにも答えのでない問題について考え続けることでもあるよ、と伝えたかった。 その結果でてきた意見を聞きながら、いま小学生の子どもたちも、あと10年も経てばこんなに冷静にあの出来事を捉えられるようになるのかな、と思うと安心できるような気もした。 いずれにしても、「不審者」とはなんなのか、なぜ大人から注意喚起されるのか、どんな危険性があるのか、遭遇してしまったらどう対処すればいいのか、などを、実感とともに理解できるよう子どもに伝えるのは難しい。 いちど、ちょうどいいくらいの危ない目に遭えば、身をもって危険性を認識できるのだろうか。でももちろん、いちどでもそんな目には遭ってほしくない。 安全であることを前提として、子どもにヒヤッとするような体験をさせる、「不審者代行業者」みたいな会社はないだろうか。あったら依頼したい。 とはいえ、大人でも不審者に遭遇したときに、咄嗟にうまく対処できるとは限らない。思えばわたしにもそんなことがあった。