地元では「神さま」なのに… ヤマト王権に迫害された「まつろわぬ民」の悲運とは 呪術廻戦にも登場する「両面宿儺」の正体【古代史ミステリー】
人気マンガ『呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)』にも登場する両面宿儺。実は、『日本書紀』にもその名が記された実在の人物であった。2つの顔を持つ異形の人と恐れられる一方で、その実像は王権にとってまつろわぬ山岳民族であった。 ■2つの顔と手足を有する異形の人 両面宿儺(りょうめんすくな)といえば、今流行りの人気マンガ『呪術廻戦』に登場する、最凶最悪の「呪いの王」の「宿禰(すくね)」を思い浮かべる人が多いだろう。4本の腕と、両眼の下にもう一対の眼を持つという異形の呪術師で、女性殺害を嬉々として行う残虐な人間として描かれている。そのおぞましさはもちろん、極め付けである。 ともあれ、この『呪術廻戦』に登場する宿儺、4つの腕と眼を有するなど、いかにも作り話めいている。そのため、この漫画独自のキャラクターと思われがちだが、実のところ、千数百年前に実在(?)したとされる歴史上の人物である。その名も様相も、かの『日本書紀』に、ちゃ~んと記されているのだ。それが、仁徳天皇65年の条。正確な年数は定かではないが、おそらく5世紀初頭のことと思われる。 それによれば、飛騨国(岐阜県北部)に、「体が一つで二つの顔」を持ち、「それぞれ手足がある」という異形の人間が現れたという。「力が強く敏捷」で、「剣と弓矢を駆使して人民を略奪するのを楽しみにしていた」とまでいうから、かなり豪腕な人物(あるいは勢力)だったのだろう。 体の特徴として、「ひかがみ(膝の後ろの窪み)」や「かかと」が無いと記されているところから、これを「すね当て」や「草履(ぞうり)」に見立て、それを使用する山岳民族とみなされることもある。皇命に従わなかったため、「和邇氏(わにうじ)の先祖・難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わして殺させた」と締めくくっているところから鑑みれば、かの土蜘蛛(つちぐも)同様、王権にまつろわぬ地方勢力を、退治すべき賊あるいは鬼と見なして殺戮(さつりく)したものと推測できそうだ。 ■天孫族が海人族に指図して山岳民族を駆逐? 一方、退治した側の武振熊といえば、応神天皇の対抗勢力であった忍熊王(おしくまのみこ/応神天皇の異母兄)討伐時にも登場する人物である。この時の摂政は神功皇后(実在したとすれば4世紀中~後半に活躍か)だから、神功皇后~応神天皇~仁徳天皇の3代にわたって仕えていたことになる。 二倍年歴(春と秋に年が変わるとの見方)を考慮したとしても、半世紀以上、征夷大将軍として活躍し続けたという超人的な御仁ということになる。その真偽はともあれ、その先祖とされるのが、奈良県天理市和爾(わに)町あたりを拠点としていた和邇氏で、安曇氏(あずみうじ)と同族の海神族(かいじんぞく)と考えられている。となると、天孫族(てんそんぞく/ヤマト王権、朝鮮半島から渡来か)が海人族(武振熊、中国江南から渡来か)に指図して、山岳民族(両面宿儺、縄文系の土着民か)を駆逐した…との図式が想定されるのだ。この辺り、日本民族の誕生そのものを暗示しているかのようで、興味深いものがある。 ■不服従の民として成敗されたのはなぜ? その両面宿儺のことであるが、ヤマト王権によってまつろわぬ民として成敗されたとはいえ、地元での受け取り方は、当然のことながら、正史に記された人物像と大きく異なっている。伝承地とされる岐阜県高山市丹生川町では、「人々を世の苦しみから救う」救世観音の化身とまで讃えられているのだ。同町にある千光寺は両面宿儺が開山したとされる寺院で、江戸時代の仏師・円空が彫ったとされる両面宿儺像が祀られている。 それにしても、なぜ仏として崇められるようになったのか? その理由の一つが、実は彼自身が退治される側ではなく、人々を苦しめていた鬼を退治した側であったことに由来する。高山市内西南にそびえる位山、ここを住処として、七儺(しちな)と呼ばれる鬼が人々に危害を加えていたという。これを天皇の命によって退治したのが両面宿儺であったというのだ。 奇妙なことに、この位山を神体山とする高山市一之宮町の水無神社に、鬼として恐れられていたはずの七儺の頭髪が神宝として祀られている。神宝とは本来、祭神ゆかりの宝物のこと。それなのに、退治したはずの鬼の遺物をなぜ神宝として崇めるのか、首を傾げてしまうのだ。もしかしたら、同じ山岳民族の中でも、王権に従属的であった民と、あくまでも抵抗し続けようとした民がいた、その表れといえるものなのかもしれない。 その内部抗争を考える上で、重要な役割を果たしてくれそうなのが、5世紀前半に築造されたと見られる亀塚古墳(直径70mの円墳)だろう。一説によれば、この古墳こそが、両面宿儺の埋葬地だったとされる。仁徳天皇の命によって征伐されたと思われる時期も、ほぼ一致している。 この古墳からは、朝鮮半島で産出された鉄で作られた甲冑(かっちゅう)が出土しているが、鉄製の甲冑を所持しているところから、相当強大な勢力を有した支配者であったことがわかる。想像をたくましくすれば、強大な勢力を有していた両面宿儺なる地方豪族が、王権に征伐されて滅ぼされたのではなく、早くから王権側に与して、同族内の抵抗勢力を押さえつけていたのではないか? その抵抗勢力というのが七儺だったとすれば、この七儺こそが、鬼と蔑まれて征伐された悲運の民だったというべきなのかもしれないのだ。 ちなみに、二人の人間が結合した状態で生まれてくることは、現実問題としてあり得る事象だ。結合双生児と呼ばれ、5~20万人に一人の割合で生まれるといわれている。とすれば、『日本書紀』に記された両面宿儺も、実在の人物だった可能性が高そうだ。 また、現実にはあり得ないが、複数の顔を持つ仏像としては、観音菩薩の変化身(へんげしん)とされる十一面観音がよく知られている。正面に柔和な顔(柔和相)が三つ、左右に怒った顔(忿怒相/ふんぬそう など)がそれぞれ三つ、後ろに笑顔(大笑相/だいしょうそう)が一つ。そして頭上に仏の顔(仏相)が一つ、合わせて十一の顔を有している。 なお、長野県安曇野に伝わる鬼伝説に魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)が登場するが、こちらは八つの顔を持つ鬼ではなく、多くの盗賊団を率いる首領のことを象徴的に言い表したもの。その妻・紅葉鬼神(もみじきしん)共々、田村利仁こと坂上田村麻呂に討伐されたことになっているが、もちろん、伝承の域を出るものではない。
藤井勝彦