リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
優勝目前まで迫ってはいるが、まだ何も勝ち取ってはいない
試合後の更衣室は格別だった。選手たちはロッカーを叩きはじめ、しかもその音はどんどん大きくなっていった。みなの感情が高ぶっていった。そこには独特の雰囲気が生まれ、勝利の祝福が始まった。 このパレス戦での勝利は安堵をもたらした。パフォーマンスもよく、しかも優勝をさらにたぐり寄せたのだ。エネルギーと安堵感がともに充満していた。僕は祝福にほとんど加わらなかったが、すさまじい音が響いていた。 僕は落ち着いていた。まだ、そのときではない。カップ戦やチャンピオンズリーグの決勝で勝ったのならば全身全霊で祝うが、まだ何も勝ち取ってはいない。たしかに優勝目前まで迫ってはいるが、まだ確定はしていない。僕としては、もう誰も追いつけないところまで到達するまでは感情も祝福も取っておきたかった。この試合ではまだ何も決まっていない。だから踊らなかった。つぎの試合――8日後に、敵地でのマンチェスター・シティ戦――がある。そこで優勝を決めたら祝福すればいい。 そしてまた、罪悪感が忍びこんできた。僕はファンがそこにいられないことに、彼らの身になってというだけでなく、自分自身が納得いかない思いを抱いていた。クラブがこれほど長く追い求めてきた優勝なのに、ファンがいなければべつのものになってしまう。リヴァプールのファンはサッカーに取り憑かれているうえ、リーグ優勝を30年も待っていたのだ。彼らがその場にいて、選手たちとそれを分かちあうことができないのは過酷なことだ。それはファンだけでなく、選手にとっても同じだ。それくらい優勝は大きなことなのだ。
ユルゲンは「今晩決まるような気がする」と言った
翌日、6月25日の朝、僕たちはメルウッドでリカバリー・セッションをした。その移動中に、数人で連絡を取り、その晩集まる方法はないだろうかと話しあった。マンチェスター・シティはこの日のスタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦で、勝たなければ優勝の目が消える。 多くの選手は彼らがポイントを落とすことはないと考えていたが、ユルゲンはちがった。メルウッドに集まった僕たちに、今晩決まるような気がする、みなでフォームビー・ホール・ホテルへ行こう、と言った。ユルゲンは一軍のバブル全員を、選手やコーチだけでなく、ユニフォーム係やメディカルスタッフ、マッサージ師にいたるまでその晩フォームビー・ホールに呼び寄せた。 2016年には、レスターが優勝を決めた晩に、ジェイミー・ヴァーディが自宅でパーティを開いたが、今回は規制があり、僕やほかの選手の家に集まることはできなかった。家に集合すればルール違反になってしまうが、フォームビー・ホールならば大丈夫だ。リヴァプールのバブルに含まれる全員が規則に従い、責任を持って、仕事の一環としてそこにいることができる。 ホテルにはほかの宿泊客は入れなかったので、スタッフが食事を準備する必要があった。そこで野外でバーベキューをし、中庭にテレビスクリーンを用意し、食事をしながらチェルシー対シティ戦を観ることにした。序盤はシティが試合を支配していたため雰囲気は静かだったが、ハーフタイムの10分前に、クリスチャン・プリシッチがエデルソンの脇を抜いてゴールを決めた。それで雰囲気はがらりと変わった。ケヴィン・デ・ブライネが強烈なフリーキックで同点にしても、誰も気落ちしなかった。 そして終了13分前に、熱狂的な騒ぎになる。シティのゴール前で混戦になり、そこでフェルナンジーニョが手でボールを防いだ。審判ははじめ気づいていなかったが、VARで確認され、フェルナンジーニョは退場になり、チェルシーがPKを得た。僕たちがいる中庭は静まりかえった。ウィリアンが蹴る。そして決める。熱狂と興奮に包まれた。