国家のライフサイクルを考える 衰退期の日本に「中興の祖」は現れるか?
8割国家の中興
現代の「民主日本」国は、明らかにアメリカの支配によって生まれた国家であり、いまだに国家の根幹である軍事がアメリカのコントロールの下にある。実は「民主日本」は、まだ完全に独立してはいない「8割国家」なのだ。 完全に独立することも逆にアメリカとの同盟を強化することも含めて、日本がこの状態から変化することはかなり大きなインパクトをもつ。「支配的な家」の変化というべきだろうか。良い悪いは別にして、このところ日本はすでに、軍事的な国際関係の海に、戦後平和主義とは異なる一歩を踏み出している。中興の祖に代わって、国際関係の変化が国を変えていくこともありうる。 現在の政治体制における政権交代は「支配的な家」の交代には当たらない。自民党内における首相交代と同様「支配的な人」の交代のレベルにとどまる。これは先進民主主義国の政権交代に共通する現象であり、保守と革新がともに中道化しているのである。 現在のところ日本に「支配的な層」の交代、たとえば革命によるプロレタリア国家あるいは軍事クーデターによる独裁国家が成立するほどの兆候はみられない。日本は、内乱状態でもなく、巷に餓死者が溢れているわけでもなく、政治批判すれば捕まるというわけでもない。経済的には凋落期とはいえ、まださほど悪くはない社会なのだ。 現実的に期待できるのは「支配的な人」の交代による小さな中興だろうか。きわめて力のある人物が現れて、連続的な改革を起こすことである。たとえば首相公選制、道州制の導入、自民党の解体といった程度の改革があれば、「支配的な家」の交代に匹敵するような、大きな中興になるかもしれない。デジタル化もひとつの契機であろう。そしていずれは「支配的な層」の交代、すなわち「民主日本」に代わる、われわれが想像もできないような新しい国家への転換を経験するのではないだろうか。歴史とはそういうものである。 現代の衰退社会における最大の矛盾は、少子化による人口減少問題と温暖化ガスによる異常気象問題が相反関係にあることである。19世紀以来の工業化の拡大による爆発的人口増が、地球沸騰(近年の温度変化は地質年代的に考えれば温暖化ではなく沸騰である)の主たる原因であることを考えれば、先進国において人口が減少することは、地球にとって唯一の光明なのだ。無理に出産率を上げようとするより、移民などによって一国の生産人口を保つ方が正論だろう。 しかし家族主義的な島国である日本はこれが難しい。最近は欧米でさえ排除傾向である。グローバル時代に日本をオープンにすることは必要だが、欧米の移民とは異なるかたちの「日本型移入社会」を模索することができないだろうか。 人が衰退するように国家=社会も衰退する。とはいえ衰退社会=悪い社会というわけではない。衰退社会の中でもよりよく生きることはできる。どんな社会においても希望をもって努力することが肝要だ。 小であろうと大であろうと、中興は苦難をともなう。衰退社会の構成員は誰も、安穏な衰退か、苦難の中興かの選択を迫られているのだ。そう考えれば、中興の祖が出るか出ないかは、国民の精神のあり方にかかっているといえようか。