国家のライフサイクルを考える 衰退期の日本に「中興の祖」は現れるか?
中興とは
「中興の祖」という言葉がある。 創始者ではないが、ある社会や組織を大発展させた人物をいう。ここでは成熟期あるいは衰退期を再び成長期に転じさせることを中興と呼ぼう。今の日本で求められているのはその中興の祖であるかもしれない。 先の四つの日本国で考えれば、平安遷都を断行した桓武天皇や、室町幕府、江戸幕府によって武家統治を安定発展させた足利尊氏や徳川家康のような人物が中興の祖ということになる。しかし室町幕府、江戸幕府成立の前には、内乱というべき大変な混乱があって相当の犠牲者が出ているので、これは大きな中興であり、中国の歴史でいう易姓革命に近い。 歴史的には、支配者の交代で論じると分かりやすいのかもしれない。支配的な「人」の交代と、「家」の交代と、「層」の交代の三つに分けられる。 個性的で強力な支配者(=リーダー)の登場によって、ある程度の中興が起きることがある。現代資本主義社会におけるという限定つきで、サッチャー、レーガン、中曽根康弘などはその例であろうか。社会主義に対する資本主義の優位が決定的になった時代だ。享保の改革を行なった徳川吉宗などもこの「支配的な人」の中興に当たろうか。改革ではあるが、社会に激震が走るほどではない、体制内改革である。 鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利氏、江戸幕府の徳川氏などが実権を握ったのは「支配的な家」の交代(中国の場合には民族の交代もある)である。先に述べた大きな中興であり、易姓革命であり、その過程で社会にはかなりの混乱と犠牲が生じる。 「支配的な層」の交代はもはや中興ではない。これは大革命であり、国家=社会の転換であり、きわめて大きな混乱と犠牲がともなう。近代世界史においては、フランス革命、アメリカの独立、ロシア革命、中国共産革命などが、これに匹敵する。日本を四つの国に分けたのも「支配的な層」の交代によっている。つまりひとつの国家(社会)の転換(交代)は「内乱・革命・独立」といった大混乱と、それによる「支配的な層」の交代によってもたらされるのだ。