「D.P.―脱走兵追跡官―」原作者キム・ボトンの普通の中にある特別な物語の探し方
少しでも社会全体を豊かにするためには、今苦しい状況に置かれている人たちに手を差し伸べることが大切であるにも関わらず、関心を集めているのは効率性や生産性を求める資本主義的な側面ばかりのように感じます。経済発展と相反するように人権への配慮などの水準は低下しています。そういった思いから、ストーリーに格差や不平等を取り上げています。
――脚本家になるために必要なものは何でしょうか?
ボトン:脚本家とは、話したいことを伝え続け、書き続けたる人だと思います。一方で有名な脚本家になれば注目を浴びて稼げる、という一部の現象を見た志望者も増えています。
私が大好きな北野武監督が、あるインタビューで「サッカー選手になるために一生懸命生きてきたというよりも、サッカーを一生懸命やっていたらサッカー選手になっていた」というストーリーの方が好きだという話をされていました。それに影響されて、私も「作家になることが目標だという人が作家になるのではなくて「この話をしたい、伝えたい」という人が作家になっていく」のではないかと考えるようになったのかもしれませんね。
――夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだそうですね。どの部分に引かれましたか?
ボトン:高校生の時からずっと好きな作品で、100回以上読んでいます。好きなところは、人間たちの問題や葛藤を猫の視点で見ていることです。人間社会はとても複雑で難しい問題も多いですが、一歩下がって状況を見てみると実は取るに足りないようなことだった、というのが猫の視線に置き換えられていることで腑に落ちる。ちょっと皮肉っぽい、渇いた笑いの描き方がとても印象的で、私も猫の視点で問題を俯瞰するような思考法を学んだような気がします。あとは、最後の場面で猫が死んでいく場面で事実を受け入れていく過程の描写はとても印象的で、他の漱石の作品と比べても独特の魅力がありますね。
――世界的な人気の韓国ドラマや映画ですが、自身のキャリアについてどう考えていますか?