巨大津波にのまれた母校への思いを映画に:佐藤そのみ監督の2作品、“封印”を解かれ劇場公開
松本 卓也(ニッポンドットコム) いつか地元で映画を撮りたい。そんな少女の夢が流れて消えることはなかった。東日本大震災から8年後の2019年、大学生になった彼女は宮城県石巻市の大川地区でカメラを回すことになる。2本の中編は21年より全国30カ所を超える自主上映会で反響を呼び、このたび劇場公開が実現した。佐藤そのみ監督に制作の経緯を聞き、思いを語ってもらった。
大学を休学して撮った『春をかさねて』
大川地区は北上川の河口付近にある。2011年3月11日、巨大地震による津波が川を遡上(そじょう)し、一帯に甚大な被害を及ぼした。中でも大川小学校では児童74人と教職員10人が犠牲になった。佐藤監督も6年生だった2歳下の妹をそこで亡くしている。 震災から4年後、佐藤監督は日本大学芸術学部の映画学科に進む。映画の道を志したのは震災前、小学6年生の時だった。 「小説を書いたり、漫画を描いたり、写真を撮ったりするのが好きな子でした。それを全部できるのが映画だと、よく分からないまま脚本を書いてみたり。当時から地元で映画を撮りたいと思っていました。自然が豊かで景色が美しく、人が少ない分いろいろと噂が耳に入ってくるんですけど、そんな人間関係を映画にしたら面白いだろうと思って」 しかし大学に入って実際に映画を作る時には、撮りたかった風景も人も失われていた。それでも地元で撮りたいという思いは消えなかった。だがそうなると、震災に向き合うことは避けられない。悩み続けた末、3年生の年度が終わったタイミングで休学を決意した。 卒業制作としてではなく、自主制作で映画を1本撮るためだった。 「撮りたかったのは、震災を背景にした物語でした。本当はこれを卒業制作にしたかったけど、卒業制作には30分という制約があったのと、同級生たちを巻き込めないと思ったから。みんなは面白いエンタメを作りたがっているのに、被災地に連れていって重い題材に関わらせるのは申し訳ないなと」 休学期間のほとんどを資金作りのアルバイトと脚本の執筆に充てると、キャスティングを経て、撮影に入ったのは年度の終わりだった。2019年3月に約10日間で撮影した映像が、やがて45分の劇映画『春をかさねて』として実を結ぶ。