【50代女子・茨城旅】ひとり旅にちょうどいい。「いば旅」で水戸の魅力、新鮮、発見!
東京から1時間ちょっと。歴史あり、食あり、ひとり旅にちょうどいい
「水戸は、東京から特急で1時間と少し。でも私の周りには「行ったことない~」と言う人が多いのです。 だけど水戸黄門はみんな知っているはず。人生に楽あれば苦もあると、明るく口ずさんじゃった小学生のころ。あなたの水戸黄門が誰か?で世代がわかっちゃうかもしれません。 あの黄門さまのモデルは、水戸藩の第2代藩主徳川 光圀(みつくに)とされています。この方、徳川家康の孫。 水戸藩は徳川御三家の一つで、参勤交代はなく藩主は江戸にいて、万が一の時は将軍を代行する立場といわれていたそうです。あの紋所にみんながひれ伏してすべて解決するのはそんなお立場だったから?」
「その後、中興の祖と言ってもいいのでしょうか? 学問の都としての水戸をよみがえらせたのが9代藩主徳川斉昭(なりあき)。彼がつくった藩士のための学問所=藩校がいまも水戸に残る弘道館です。ここは学問と武道の両方を学ぶ学校でした」 斉昭が大切にした思想に「一張一弛」(いっちょういっし)があります。周りの水戸出身者8名に聞いてみたら(調査サンプル少なっ)、なんと全員がこの言葉を知っていました。もちろん私は水戸に行くまで知らなかったデス」
「『一張一弛』とは緊張し張りつめた状態があれば、弛みリラックスすることも必要と言う意味。そこで、彼は張りつめて学問と武道に励む弘道館と、心も頭も身体も弛めて、リラックスする偕楽園をセットで作ったのです。 できればもっぱら偕楽園のほうに入り浸ってずっーと弛んでいたい私ですが、この発想には共感しました」
偕楽園はなぜ梅なのか?
「ところで、偕楽園はご存じ梅の名所、毎年2月10日ごろから3月中旬まで梅まつりが開催されます。私が行った日は、6割方咲いているところに雪が舞う日でした。期間中は幻想的な夜梅会や梅酒まつりなども開催されます。 それにしてもなぜ梅なのか? ここにも斉昭公の知恵が光っています。 梅は実がなる、つまり食べられる。いざというときの兵糧になるから、梅だったのだそうです。実にその数3千本ほど(2024年現在)増減はしているもの、梅梅梅。花も団子も、両方欲しい、さすが。 水戸駅から、水戸学の道を通り、弘道館、そして偕楽園へはバスで。徒歩とバスで回れるのもまたよしです」