「秋の夜長の手芸で体感 体全体で見れば見える!」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】人生に欠かせない針山はこちら * * * 夜が長くなると読書量が増える。良いことである。だが老眼がひどい。近所のメガネ屋さんであつらえてもらった老眼鏡をかけると別世界のようにクッキリ見えるのだが、それでも長時間読んでいると目がしょぼしょぼしてくる。 そんな時は潔く方向転換し、手芸タイム。具体的には縫い物&編み物。着古した服を使ったエプロン作りと、友人からもらった大量の毛糸で帽子を編むのが定番だが、本も読めないのに手芸の細かい作業がなぜできるのか? いやほんとそこですよ。これが全然いけるんです。実は手芸では老眼鏡もほぼ使わない。メガネに慣れないせいか、鼻の頭にずっと何かが乗ってると疲れちゃうのでね。それでも大丈夫。裸眼でスイスイ。細かい刺し子もボタン付けもゴム編みも全然いけるのだ。 要するに、「目」だけに頼ってないんですよね。手を使うって本当に素晴らしいと思うのは、相当に細かい仕事でもなんとなく感覚でできちゃうこと。目は見えずとも、手の感触で「見えて」しまうのだ。 考えてみれば、昔の人はみんなこの力を使ってたんだよね。電気も眼鏡もなかった時代でも、めっちゃ暗い部屋の中で、女性たちはフツウに夜鍋で繕い物をしていた。昔の農村で防寒や補強のために施された刺し子の美しさ、細かさを見ると、どう考えても超人としか思えない。しかしこれを作ったのはごく一般の女性たちなのである。 で、自らこの能力を日々使うようになってみて痛感するのはですね、「老眼」は時を重ねるごとに日々進行することはどうしても止められないわけだが、この「心眼」というべき、体全体でものをみる能力は、時を重ねるにつれますます磨かれ発達していくことだ。私は5年前よりも針に糸を通すことが確実に早くなっているのである。 そしてこのようなことは、他にも案外たくさんあるように思われる。だがそれは便利なツールに頼っていては決して開発されることはない。私がいま便利を遠ざけている理由の一つはそこである。 いながき・えみこ◆1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』『家事か地獄か』など。最新刊は『シン・ファイヤー』。 ※AERA 2024年11月25日号
稲垣えみ子