日本人が「知ってはいけない」、日本とアメリカの「本当の関係」…日本の戦後史最大の「謎と闇」
「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
下が米軍原案の4ヵ月前(1950年6月)に書かれた、その問題の「条文」です。まず読んでみてください。 ○ 日本全土が、米軍の防衛作戦のための潜在的基地とみなされなければならない。 ○ 米軍司令官は、日本全土で軍の配備を行うための無制限の自由をもつ。 ○ 日本人の国民感情に悪影響を与えないよう、米軍の配備における重大な変更は、米軍司令官と日本の首相との協議なしには行わないという条項を設ける。しかし、戦争の危険がある場合はその例外とする。 「なんだこれは。さっきの米軍原案と、ほとんど一緒じゃないか」 と思われたかもしれません。 そのとおりです。 しかしこの「条文」の重要性は、その内容ではないのです。 問題はこれを書いた人物が、そのわずか4年前に憲法9条をつくり、その後も、 「日本の本土には絶対、米軍基地は置かない」 と言い続けていたマッカーサーだったということです。 そのマッカーサーが、なんと、 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」 というような、おかしくなってしまったかのような「条文」を、突如として書いていた。しかも彼がこの「条文」を書いたのは、1950年6月23日。朝鮮戦争が起こるわずか2日前だったというのです。 このあまりに不可解な「6・23メモ」と呼ばれる報告書の背景を調べることで、結果として日本の「戦後史の謎」における最後のピースが見つかり、私が2010年以降続けてきた「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになったのです(「6・23メモ」第2項参照。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1227)。
マッカーサーの迷い
どんな国にも、その国の未来を決めた重大な瞬間というものがあります。 「戦後日本」の場合、それは間違いなく、朝鮮戦争が起こった1950年6月だったといえるでしょう。開戦日(6月25日)を挟んだほんの数日のあいだに、日本のあるべき未来の姿は、大きく転換することになったのです。 ここで当時の状況を少しだけ振り返っておきましょう。 第二次大戦での敗戦から、日本の占領はすでに五年近く続いており、占領軍を指揮するマッカーサーとアメリカ国務省は、できるだけ早く占領を終わらせたいと考えていました。そのままズルズル占領を続けてしまうと、アメリカ自身が定めた「領土不拡大」の原則に違反していると批判されるおそれがあったからです。 一方、アメリカの軍部は、日本の占領終結には絶対反対の立場をとっていました。 というのも、その前年の1949年10月に誕生した共産主義の中国(中華人民共和国)が、この年の2月に同じ共産主義国であるソ連と手を結び、日本とそこに駐留するアメリカを仮想敵国と位置づけた軍事同盟(「中ソ友好同盟相互援助条約」)を成立させていたからです。 憲法9条で日本に戦力放棄をさせていたマッカーサーも、さすがに以前のように、 「沖縄に強力な空軍をおいておけば、アジア沿岸の敵軍は確実に破壊できる」 「だから日本の本土に軍事力は必要ない」〔=憲法9条2項は間違っていない〕 などと言える状況ではなくなっていました。そして「平和条約を結んだあとも、米軍は日本への駐留を続ける」という軍部の提案にも理解を示し始めていたのですが、その大きな方針転換をどのようなロジックで行えばいいか、考えあぐねていたのです。