「肌色が残るのが納得いかないんですよ」耳の中から局部まで…全身に刺青を入れ続ける、元極道の半生
アイロン台で丁半博打していた父の粋な世界への憧れ
──たくさんの絵柄が詰め込まれていますが、調和が取れてとても美しいですね。 和彫りで統一しているからですね。気に入っているのは頭で対峙している花魁と落武者の生首。それから、俺の体には蛇が3尾と龍が5尾入ってる。本来、蛇と龍は合わないらしいんだけど、仲よくやってくれてるよ(笑)。 最初に彫ったのは背中の観音様。お守り代わりの大事な観音様の顔を、蚊が刺したりすると「畜生!」って思ったりね。 ──そもそも、最初に刺青を入れたきっかけは? 刺青が好きだったからです。最初は16歳か17歳のときだから48年くらい前だね。親父もお祖父ちゃんも曾祖父ちゃんも刺青が入っていて、親父と行く銭湯では他のお客さんの刺青もよく見ていて、般若なんかを見ては幼心にカッコいいなって思ってました。それに、浅草の遊び人だった父の粋な世界に憧れがありました。 親父のお客にも刺青の人が多くてね。お客を集めて白いアイロン台を中央に据えて、そこにツボを伏せて「丁か半か」なんてやってたのをよく覚えてるよ。俺がそれを見てると、お袋が「ちょっとこっちに来なさい!」って慌てて見せないようにするの。だから、親父もカタギじゃなかったんだね。女をとっかえひっかえするから、俺はたらい回しにされてたんだけど(笑)。今となっては、いい思い出です。 祖父は宮大工、曽祖父は鳶職で、職人だから刺青を入れていたようですね。祖父は父にも俺にも大工になってほしかったみたいだけど、父の代からは脇道に逸れてしまって(笑)。
「その道に行くなら頑張れよ」
――親父「も」カタギじゃなかったということは、やはり熱海さんも……? 今はカタギですから安心してください(笑)。 地元で暴走族をやっていて鑑別所に入ったりもしてたんですが、そういうヤツにはスカウトが来るんですよ。だから、10代で出入りするようになり、そのままゲソつけました(編註:組織に入るの意)。父とは所属組織が反目(対抗組織)でしたが、「その道に行くなら頑張れよ」と言ってくれていました。 20代半ばで、ついていたアニキが破門されたことをきっかけに、自分も組の札をおろしました。それから事件をおこして、長い懲役に行き、30代後半でカタギになって、それ以外はずっとすねかじりでまともに働いたことがありません(笑)。 ――映画みたいな世界ですね。刺青の絵柄はご自身で決めるのでしょうか? 先生と相談しながらですね。昔は彫師が人を見て決めてたみたい。俺も10代のときにお願いした先生には「あんたは面散らし(編註:おかめ、ひょっとこ、鬼、般若、天狗、狐などの複数の面を配置した刺青)だな」って言われましてね。結局、変えてもらったけど、今思えば俺に合ってたかもしれないな……。 〈後編〉総費用は「高級外車1台分」…タトゥーを入れ続けて困ったことは「スマホの顔認証が登録できないことくらい」に続く 取材・文/宿無の翁 写真/わけとく 協力/H&Ms 原宿スタジオ(https://www.instagram.com/masashi_tattoo/)
宿無の翁