宇多田ヒカルのLIVEツアー衣装デザインの舞台裏【A-POC ABLE ISSEY MIYAKE × Spiber】
2つのテクノロジーの融合
2021年にスタートしたA-POC ABLEは、イッセイ ミヤケのブランドの中でもっとも実験的だと言える。 「A-POC ABLEのミッションのひとつは新素材のR&D(研究開発)です。新たなスタイルを創り出すだけではなく、素材への追求こそがイッセイ ミヤケの強みですから。デザインエンジニアが主体となる少数精鋭のチームで、テクノロジー企業や大学の研究者、アーティストの方々と協業をしながら、ひとつのプロジェクトには約2~3年の開発期間をかけて取り組んでいます」(宮前さん) A-POC ABLEの活動は「ブランド」というより、ものづくりのプロセスを見つめ直し、異分野のエキスパートたちと、さまざまな課題をデザインの力で解決し変革していく「プラットフォーム」なのだという。今回の衣装制作にも、培われたテクノロジーが最大限に投入された。なかでも主要な技術は「Steam Stretch(スチーム ストレッチ)」だ。デザインエンジニアリングを担う中谷学さんはこう説明する。 「Steam Stretchは生地に蒸気を当てることで立体的に変形させる、イッセイ ミヤケの独自技術です。繊維は主に熱と水分によって収縮しますが、その収縮率は繊維ごとに特性があります。Steam Stretchはジャカード織の構造をプログラム化することで、収縮をコントロールしながら、これまでにない優れたストレッチ素材を作り出していくためのテクノロジーなのです」
繊維の収縮を利用して生地に変化を持たせる手法は、ファッションの世界ではよく見られる。しかし、A-POC ABLEの「Steam Stretch」は、従来とは全く異なる手法である。 Steam Stretchはそのプリーツを直線だけでなく、自在な形状・大きさで配置できる。データ管理された繊維の縮みによって生地が立体物として立ち上がるのだ。この技術でBrewed Protein™ファイバーの高加工性が生かされたという。 「手触りは柔らかく、上質な天然素材のようですが、加工を施しても収縮率の誤差がなく安定していることに驚きました。天然素材だと収縮にバラつきが出ることがあります。スタディを重ねて量産化できれば、まったく新しい特性を持つ、デザインの自由度が高い生地が作れるかもしれません」(中谷さん) Spiberが生み出したBrewed Protein™ファイバーは、Steam Stretchをさらに進化させる可能性を持った「未知の糸」だったのだ。
1着のドレスに隠されたエピソードは、サステナブルなファッションの未来をも指し示しているだろう。そして「一枚の布」をめぐる物語は続いていく。 「A-POC ABLEはBrewed Protein™を使用したプロダクトの第一弾を、2025年に発売する予定です。今回の経験をプロダクト・シリーズに展開し、今後は日常生活で使える快適な服に発展させていきたい。そして、このBrewed Protein™の可能性や魅力を多くの方に知ってもらえたらうれしいです」(宮前さん) 微生物の力を借りて資源問題を解決する平和への希求が、まったく新しい服となって私たちの体を包むまで、あと少しだ。