【御嶽山噴火】家族を探し続ける人、災害の教訓を伝え続ける人…それぞれが過ごした10年間 山小屋は登山者に啓発活動「今いる場所は火山の中。噴火したらどのように身を守る必要があるか、親身になって伝えたい」
2014年、秋晴れの空を灰色に染めた御嶽山の噴火。58人が亡くなり、いまも5人の行方が分かっていません。戦後最悪の火山災害から10年。行方不明の家族を探し続ける人、教訓を伝え続ける人...それぞれが見つめた“10年”を取材しました。
息子を探し続ける父「まだ見つけられず本当にごめん」
2024年9月27日午前11時52分、長野県王滝村。10年前、御嶽山が噴火した時刻に合わせて、黙とうが捧げられました。
“あの日”から10年。父を亡くした松井登輝也さんは、追悼式で「災害から10年。私は教師になり、このような経験を子どもたちに話すことがあります。父の思いを私が生きた教科書として伝えていくこと、災害の教訓を伝承していくことが、今後の私の務めだと思っています」と語りました。
2014年9月27日、突然噴火した御嶽山。58人が亡くなり、現在も5人の行方が分かっていません。
「(息子を)送り出したのが、つい先日のような感覚も少しあります」と話すのは、今も息子の行方が分からない野村敏明さん。自身も御嶽山に登り、息子を探し続けています。「いまだに連れて帰れずに、見つけてあげられずに、本当にごめんねという思いは伝えました」と心境を明かしました。
山頂付近で息子と、その婚約者を亡くした所清和さん。追悼式後、「(10年は)早いようで長いようで…」と、これまでの10年間を振り返りました。続けて、「(これからも)頂上まで行って、ヒマワリを手向けて、それが私のできる供養だと思っていますので。あと何年できるか分かりませんけど、頑張って登りたいと思います」と、これからの思いを話しました。
「ほんの数秒の間、これどうしようっていうのを考えている状態」と写真について話すのは、名古屋市内で暮らす志知泰隆さんと長男の宗治さん。あの日、頂上付近で噴火を経験。“一瞬の判断”で近くの山小屋へ逃げ込みました。