【御嶽山噴火】家族を探し続ける人、災害の教訓を伝え続ける人…それぞれが過ごした10年間 山小屋は登山者に啓発活動「今いる場所は火山の中。噴火したらどのように身を守る必要があるか、親身になって伝えたい」
そのときの動画には、小屋全体が一瞬で噴煙に覆われていく様子が収められていました。「(小屋のなかは)もう真っ暗で。数十㎝先の手が、見えないくらい真っ暗になって」と、当時の様子を振り返る泰隆さん。宗治さんは、「噴火したときも5分10分違っていれば、命も無かったかもしれない 命の大切さに気付きました」と話します。
あれから10年が経ち、大学生になった宗治さんが今も大切に持ち続けているもの。それは、山小屋から一緒に下山をした人につくってもらったという、“火山灰の泥団子”です。
実はこの“火山灰の泥団子”、噴火の翌年に志知さん親子を取材した際に、宗治さんが番組スタッフに見せてくれたものでした。当時のインタビュー時、「なぜ、“火山灰の泥団子”を今も残しているの?」という質問に対して、「火山のことを忘れないため」と話していた宗治さん。続けて、御嶽山について聞かれると、「一番好きな山」と答えていました。
その思いは今もなお、変わることはありません。 噴火から4年後、泰隆さんと宗治さんは再び御嶽山へ。当時はたどり着けなかった山頂から、“頂上の景色”を望むことができました。
噴火の経験から、命の大切を知った宗治さん。“火山灰の泥団子”を今も残している理由について、「やっぱりその日のことを忘れないように、これからも山に登るときは、気をつけるとか、そういうのを思い出せるように残します」と語りました。
「当時、噴石が落ちて、床に穴が空いているんですけど。そのお部屋をそのままここに残しています」と、『二の池ヒュッテ』の女将・髙岡ゆりさんが案内したのは、あるひとつの部屋。
部屋の床に転がっているのは、約1㎞離れた噴火口から飛んできた噴石。当時、部屋に誰もいなかったため、けが人はいませんでしたが、噴石は天井を突き破るほどの威力で落ちてきました。